アーティスト・ヴォイス

2004/03/14

Vol.55 大矢雅章(Masaaki Ohya)

「展覧会は自分のイメージする状態で見てもらうことが大事」


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個展会場に入った途端、感嘆した。これまでモノクロームで貫いてきた空間が一転して鮮やかになっていた。版画にヴィヴィッドな色彩が施されたのである。突如宇宙から現れたようなオブジェも新しい展開だった。無論、従来のモノクローム作品も忘れてはいない。本人いわく「水の中に手を入れているような手探りの展覧会」だそうだが、明らかに新天地を感じさせるものだった。隅々まで目の行き届いた緊張感のある展示室には大矢雅章さんのエッセンスが詰まっている。

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2004-03-14 at 12:00 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)

2004/02/06

Vol.54 井上信太(Shinta Inoue)

「いろんな人と関わりながら表現していきたい」

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数年前のある雨の日、バスの中からふと窓の外を見ると美術館の前に羊...!?思わず下車して見たものは、美術館の展示室に解放された羊たちと、壁に大きく映し出された内モンゴル、中国でのプロジェクトの記録映像。その前後にも作品を見る機会はあったが、偶然出会ったこの展覧会は特に印象に残っていた。パネルに描いた羊たちを、街の中や草原などに設置してゆく「羊飼いプロジェクト」を1998年から行っている井上信太さん。「あくまで平面の表現であることにこだわりを持っている」というアーティストは、見る人とのコミュニケーションを大切にしている。

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2004-02-06 at 08:44 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)

2003/12/26

Vol.53 齋木克裕(Katsuhiro Saiki)

「矛盾がおもしろい」

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建物や空などをいくつかの断面(断片)として写真に撮り、それらを再構成して物体(もの)化し、インスタレーションすることでどこにもない空間をつくりあげる。並べ替えたり、分割したりものごとの構造を変えようとする見方が興味を引く。2002年の9月から1年間、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の助成により、ニューヨークにあるP.S.1のインターナショナル・スタジオ・プログラム(スタジオを借りて制作、発表)に参加し、そのままニューヨークに拠点を移した。ベッヒャー派の写真を引き合いに出されるように、彼にはドイツないしヨーロッパのイメージがあった。一時帰国した彼にアメリカを選んだ理由などを尋ねた。

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2003-12-26 at 08:38 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)

2003/11/07

Vol.52 金氏徹平(Teppei Kaneuji)

「白は存在感のある“無”というイメージ」

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コラージュは過去に多くのアーティストが取り組んできた技法だが、金氏徹平のコラージュ作品にはこれまでにない新鮮さを感じた。さまざまな既製の「ぬり絵」から黒い輪郭線の部分をピックアップして張り合わせたタイプの作品。化粧品(ファウンデーション)などクリーム状の液体が容器からしたたり落ちる様子、あるいはそのクリーム状のものが落ちて円形にひろがっている様をとらえた写真を掲載した印刷物から切り抜いてコラージュしたもの。コラージュ以外のオブジェ、写真、インスタレーションでも「間」や「余白」にこだわる。レディメイドの小物を用いながら、金氏はじわりじわりと彼の空間にすべてを仕上げてゆく。

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2003-11-07 at 08:33 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(1)

2003/10/10

Vol.51 森野晋次(Shinji Morino)

「光を捕らえられるもんなら捕らえてみたい」

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「見ることへの希望そして欲望」表通りに出ていた画廊の看板が目についた。どうやら展覧会のサブタイトルらしい。見ることへ希望なんてあるのだろうか…と、少なからず気になったのだ。会場に入ると巨大な四角い箱に無数の待ち針が刺さっていた。等間隔で整然と並んでいる色とりどりの待ち針はただただ美しかった。目前まで近寄って目をぐるぐる回してみる。不思議なイリュージョンが現れた。

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2003-10-10 at 01:00 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)

2003/08/29

Vol.50 善積湖戯人(Kogito Yoshizumi)

「"始まり"から"終わり"までの過程そのものが気になる」

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実際に発表された時に実物を見ていないのにもかかわらず、写真やDMで知った「顔出ス」という白いゴム膜の奥から笑い顔が浮き出て来る作品のインパクトが強烈で、それ以後、その独特の質感と形態の作品がどんな発想から生まれてくるものなのか気になっていた。見せてもらった分厚いノートには、ほぼ毎日、描いているという細やかなドローイングの数々。不思議なかたちが沢山描かれていた。現在、個展を開催中の善積湖戯人さんに制作についてインタビューした。

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2003-08-29 at 09:52 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)

2003/07/25

vol.49 本間 純(Jun Honma)

「イマジネーション・ツールとして」

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絵本作家の五味太郎の著書に「ディック・ブルーナの『うさこちゃんと海』は、簡潔な絵で、さびしさとそこには「死」をも描かれている」というくだりがある。本間純の作品には、ちびた鉛筆の森、椅子と机の湖など、子供の眼を思い出し、同時に少しさびしい気分にもなる。緑の葉っぱをつけて手をふる映像では、大の大人の姿にちょっと笑ってしまいながら、自分も緑の中に帰って行けたらいいなと思った。それは、宮沢賢治の物語に出てきそうでもある。宮沢賢治は、普遍的で先進的な思想を、先端ぶらず、田舎で子供たちに教えた人だ。越後妻有に2回目の参加をした本間純に、そのことをダブらせた。

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2003-07-25 at 11:40 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)

2003/06/20

vol.48 名和晃平(Kohei Nawa)

「"彫刻の表皮"からPixCellに続いています。」

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PIXCELLシリーズ—ガラスビーズに覆われた羊、鳥、卵、蝶などは、透過する光と反射する光に包まれ、目の前に存在するにもかかわらず、物質感を喪失した不思議な存在に変化する。私たちの網膜に映っているのはいつも物の表面であることに注目した名和晃平が展開する作品世界は、現代を生きる私たちの視覚体験をさらに超越したところへと誘ってくれる。そんな作品を作っている名和にインタビューをした。

words : 原久子

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2003-06-20 at 11:25 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(2)

2003/04/18

vol.47 丹野賢一(Kenichi Tanno)

「自分の主張を具体的に観客に伝えようとは思っていない」

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ハードな皮ジャン、ショッキングピンクのシャツ、血糊のついた顔。どこまでもストイックな雰囲気を持つ丹野賢一氏。昨年の8月、初めてこの異色なパフォーマンサーの公演に出会った。つい最近、一転して有刺鉄線を使った大掛かりな舞台を上演。ヒューズが飛んで暗闇になってしまったアクシデントがあったが、そこには動じることなく坦々と演じる作家の姿があった

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2003-04-18 at 11:06 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)

2003/03/07

vol.46 風間サチコ(Sachiko Kazama)

「小さな植民地」

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古書の世界では、絶版になって入手しづらくなった昔の本を「黒っぽい本」という。当時の思いと時間が擦り込まれて味があるものだ。風間サチコの木版画は一時どんどん黒くなり、つい棟方志功を重ねて体力的にも心配になるが、テーマも黒くて応援したくなる。風間は19歳の時、仁侠映画にかぶれ「お竜姉さん(藤純子)が中ドスなら、私は彫刻刀よ」と決意したという。たとえば「戦争は百害あって一利なし」「ストップ! 帝国主義」と声を挙げたいようなときに、『夜と霧』のような体験記も『ライフ・イズ・ビューティフル』や『ボウリング・フォー・コロンバイン』のような映画もどれも有効なように、やり方はいろいろあるはず。風間には彫刻刀あり。

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2003-03-07 at 01:47 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink | コメント (0) | トラックバック(0)