« ピンナリー・サンピタック展 | メイン | 福井江太郎展 »
2003/04/18
vol.47 丹野賢一(Kenichi Tanno)
「自分の主張を具体的に観客に伝えようとは思っていない」
ハードな皮ジャン、ショッキングピンクのシャツ、血糊のついた顔。どこまでもストイックな雰囲気を持つ丹野賢一氏。昨年の8月、初めてこの異色なパフォーマンサーの公演に出会った。つい最近、一転して有刺鉄線を使った大掛かりな舞台を上演。ヒューズが飛んで暗闇になってしまったアクシデントがあったが、そこには動じることなく坦々と演じる作家の姿があった
この世界へ入ったきっかけは?
初めてアートと呼ばれているものに出会ったのは中学生の時。テクノポップにはまりバンドがやりたくて楽器を持ってみた。当時はサブカルチャーの雑誌がたくさんあって、ジャンルが違っても近しい臭いがする演劇や美術やダンスの情報を知ることができて気軽に見に行けたんです。結局音楽は自分に向いていないなと悟ったんですけれど、いろいろ試行しているうちに一番自分に向いていると思ったのが舞台でした。それがパフォーマンスをはじめるきっかけです。
そして田中泯の「舞塾」へ進んだのですね。
当時、学生演劇をやっていたのですが、脚本や演出家に奉仕していく演劇しかないのかなと疑問に思いはじめていた時、たまたま田中泯さんに出会ったんです。演劇ともダンスとも呼べない行為みたいなことしていましてそれが面白くて入ったんですよ。彼はソロ公演はダンス、集団でやるものをパフォーマンスと呼んでいました。彼は85年から舞踏という言葉を使うようになったと思うのですが、僕が入った時(84年)はまだそういう言葉を使っていませんでした。
そこで方向性が見えてきたんですか?
当時は入る前の方が見えてましたね。正直、入ることが目標になってしまっていた部分もあり実際に入ってしまうと目標を失ったというか、自分の力不足も感じたし。また、僕のやりたいこととグループの方向性が変わってきた感もあった。その後、僕のやりたい舞台とはどういうものなのか試行錯誤しはじめたのです。まずアイデアを出しつくすまで公演をやらないとだめだなと。もともと身体を動かすのが得意な人間ではないのですが、モノを手にした場合は、少しは納得のいく行為ができると感じていました。更にモノを使って劇場自体を変えていきたいという思いもあり、モノを使用したパフォーマンスをするようになりました。今より規模が小さく劇場を作り替えるまではできていなかったけれど、こういうものもああいうものも使ってみたいというアイデアが尽きるまではと2年間は最低月1回の上演を続けました。たまにしか舞台をやらなくて自分は舞台をやっているって言えるのだろうかと思ったんです。その頃から舞台音楽はライブで行っています。
場数を踏んでみて実際どうでしたか?
今度は観客論に興味を持ちはじめるようになりました。なぜ舞台と客席が別れているのだろうと。マクドナルドでゲリラ的な公演を仕掛けたこともあります。お客さん自身が参加する公演ということで、あらかじめ彼等にハンバーガーを何分割にして食べなさいといった指令書を渡しておいた。僕の方はハンバーガーを使ったパフォーマンスをやっていたんです。でも毎回警察沙汰になりましたね(苦笑)。威力業務妨害ということで僕だけが捕まって終わることもあったし、お客さんが捕まることもあった。そういうことをやっているうちに、お客さんへのアプローチはどうしても演劇的な方向になっていってしまい、僕のやりたい方向とは違うように思えてきたんです。そして自分がパフォーマーとして何かを行いたいという気持ちが強くなってきた。純粋に演る見られる関係でいいじゃないかという結論に至ったのです。
そして大掛かりな装置を使いはじめたのですね。
根本的にモノを使ってやりたいというのがありました。92年にコンクリートブロック400個を使ったのですが、それが大掛かりな装置を使った最初の公演でした。そこから自分のやりたいことが大分できるようになってきた。これだけ大量のモノを使うとあれもできるこれもできるとなるし、構成していく作業がこれまでよりも圧倒的に増えたし作り方も細かくなった。赤い水の池を作ったり、4トンのピンクの粉を使ったり、8種類くらいありますね。
かなり作り込まれていますけれど作品にテーマを持たせていないんですよね?
僕の主張というものを具体的に観客に伝えようとは思っていないんです。アートはそういうものじゃないから興味をもったんです。モノを正確に伝える作業はそれが一番適した場でやればいいと考えてしまうんです。人によって受け取り方が違ったり、観客が思ったように思考を回転させられる、というのがアートの醍醐味なので、基本的に僕が何かを伝えるとか啓蒙するというところからは離れたところにいたいんです。
観客の気持ち不在でやりたいことをやるわけですか?
僕がやりたいことをやっているだけでは決してないんです。それは明らかに観客に何かが起こるまたは起こるであろうとことを想定してやっているわけですから。ただその内容に関して、僕が決めたことを伝えようとはしていない。勝手に動いている僕を見られる状況とは少し違って、意図的に何か起こるであろうことを、そして観客の感情を想像してやっている。でもその伝達を目的とはしていないんです。僕は少なくとも何かを構成して出しているわけですから動物園の動物にはなれないんです。
それが丹野さんの表現ということなんでしょうか?
というか、受け手が感じたことが正解としかいいようがないんですよ。ひとつ間違いがあるとしたら「丹野はあそこで何々をしようとしていたのだ」と語ること。見た人には「丹野は」ではなくて「私はこう思った」と一人称で話してほしいんです。おそらく何を見ても作者の主張を読み取ろうとしてしまうのは、そう教育されてきているからだと思います。そして僕の場合は一人称でアートを見てきたけれど楽しかったよ!というだけです。例えば音楽に置き換えて考えればいいんですよ。歌詞のない音楽を聞いている時、それどういう主張をしているかなんてまず考えないですよね。同じ楽曲でも聴く側の気分によってかなり印象が変わりますし、そのくらい作者と観客の関係は脆弱だと思っています。その人の事情によって聞こえ方、見え方が変わってしまう。そうであれば正確に伝えること自体は全然意味がないと思う。まして複数の人が見たり聞いたりするわけですから。
自由に見て感じてほしい、と?
観客は自由に鑑賞してもらっていいんですけれど、ズルい言い方をしてしまうと、見る側にはたいして自由なんてないと思ってる。もともと人間というのはある程度決まってしまっている部分があるので、それほど自由じゃないだろうと。だからだいたい想像できるというのはそういうことなんです。人間ってわからないけれども、読めてしまう部分もあって、自由っていってもそんなに抜本的に違わないだろうと思っているフシもあるんです。
今後の展望は?
現状は、舞台なら舞台、美術なら美術の人にしか見に来てもらえない、なかなか波及していかない状況があると思うんです。それがなんとかならないかなと思ってはいます。自分の場合、何か特定のジャンルに傾倒して始めたわけではないし、音楽を聞いているうちに舞台に立ったりしている人間ですから、そういう隣にいる誰かに出会えるきっかけがつくれないかなと。そういう構造をつくることを欲していますね。また、今の状態で固定してしまわないことをやっていきたいです。ここ数年海外で上演していますが、それは新しい人とコミュニケーションがとれるからなんです。日本の公演でもそういうことが起こらないかなと感じています。
■今後の予定
○
2003年4月26日(土)24:00〜
○「PUNK EXECUTION-SHORT SOLO WORKS-」日本ツアー2003
2002年、欧州で上演した「SHORT SOLO WORKS」新作の日本公演
2003年7月31日(木)〜8月01日(金)(東京/西荻WENZスタジオ)
2003年8月21日(木)(大阪/Art Theater dB)
2003年8月上旬予定(沖縄)
○欧州ツアー2003(オーストリア・ハンガリー・チェコ・スイス・ポーランド・ドイツ・イギリス他)
2003年9月〜10月予定
詳細はNUMBERING MACHINEオフィシャルホームページへ
------------------------------------------------------------------------
words:斎藤博美
「001-BLOCK」1997.06 写真/関 暁
「002-BARB」2003.03 写真/渡瀬啓一郎
「002-BARB」2003.03 写真/渡瀬啓一郎
「005-SHOVEL」1995.08 写真/関 暁
「006-SPHERE」
1996.10 写真/関 暁
「007-BOLT」
1997.01 写真/渡瀬啓一郎
「011-DOT」
2001.10 写真/otto muehlethaler
「014-SCAR」
2001.10 写真/otto muehlethaler
「017-SPEAKER」
2001.10 写真/otto muehlethaler
「018-NET」
2001.10 写真/otto muehlethaler
丹野賢一(Kenichi Tanno)
1965年生まれ
1984年 田中泯主宰「舞塾」第4期に参加
翌年より独自の活動を開始
当初は月1回以上の活動を課し、小劇場での公演、野外やハンバーガー店での突発的乱入公演、イベント列車内での裸体公演等で物議をかもす。
92年以降は、3000個のコンクリートブロック、有刺鉄線、赤い液体の池、4トンのピンクの粉、建築重機のパワーショベル、多量の球体、工業部品のボルト、高さ約4メートルの鏡の壁等、会場を作り替えるほどの大掛かりな舞台装置と身体の動き、「もの」と絡む行為によるソロ作品の提出を屋内外で続ける。
一方、2000年からは装置を使用せず、衣装とメイクにより様々なパンキッシュなキャラクターに扮しての短時間の作品群の上演も開始。
02年はアメリカ、イギリス、ポーランド、ドイツ、スイス、フランス、タイ、インドと海外8ヶ国9都市でも公演。
NUMBERING MACHINE主宰
2003-04-18 at 11:06 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a014e885bb6e5970d014e88e74694970d
Listed below are links to weblogs that reference vol.47 丹野賢一(Kenichi Tanno):