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2003/10/10

Vol.51 森野晋次(Shinji Morino)

「光を捕らえられるもんなら捕らえてみたい」

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「見ることへの希望そして欲望」表通りに出ていた画廊の看板が目についた。どうやら展覧会のサブタイトルらしい。見ることへ希望なんてあるのだろうか…と、少なからず気になったのだ。会場に入ると巨大な四角い箱に無数の待ち針が刺さっていた。等間隔で整然と並んでいる色とりどりの待ち針はただただ美しかった。目前まで近寄って目をぐるぐる回してみる。不思議なイリュージョンが現れた。

■「見ること」が気になり出したのは?

ずっと立体を制作しているのですが、イメージを形づくることよりも、次第に作品のネガにあたる空間やその周囲の環境に注目するようになってきたんです。作品というのはそれらを含めて成立するわけですから。別段目につかないけれども、ネガの部分には空気や光とか根本的な要素が充満しています。自分としてはそちらにスポットを当てる方がリアリティがあった。それが自分の中でより明確になってきたのは去年くらいからですね。作品を置くことによって、今まで見えていなかったものをいかに見せるようにするか、そういう方向になってきたんです。

■ということは展示空間にかなりこだわるということですよね?

とりわけ特徴的な空間である必要はないんですけれど、その場所を活かしながら展示するように心掛けています。会場の図面をみて、配置的なことですとか導線を考えます。立体作品の難しいところで、回りの空気や環境を意識した時に、素材感をどう押さえるかとか、微妙な技術みたいなものもあるんですけれど、去年の個展の時は半透明のプラスチックの板を使いました。重量感とか手技を一切なくして、ニュートラルに用いたつもりです。この時は、画廊の大小ふたつの空間をつなげるコンセプトでつくったんです。小さい部屋にはアルミニウム管だけを設置して、大きな展示室の待ち針を打った壁面とを見えない光線で結び付けました。光の到達線として線を点に留まらせるというか。その間には光の線跡を意識させるような大掛かりなウェーブの造形を置いてます。これを空間全体としてとらえてくれる来場者もいましたね。

■難しいことへあえて挑戦しているように見受けられますが?

確かに立体で光や形にできない抽象的なものをとらえていくのは難しいです。立体というのは最終的に構築物になりますから、そこにボヤっとしたものを感じてもらうには障害が多いんです。でも何とか進めていきたいと今は考えています。絵画や写真の場合はいかに色を定着させるかということがテーマだと思いますが、立体の場合は素材感なんかがどうしても出てきてしまう。そこらへんをどうクリアして、周りの空気や光を取り込んだ造形をしていくのかが課題ですね。

■険しい道ですよね?

そうかもしれませんね。でも自分の中に可能性を感じているからやっているのだと思います。いつでも揺らぎはありますし、時には映像を使ってみようかなと考えたり。他の選択肢を最初から消去しているわけではないので。とはいえ自分の中で一番いいなと思うのはやはり立体なんですよ。僕にとっては色のドットよりも待ち針が立っている方がピンとくるわけでして。だから現実的には無理なんですけど、光がここに行き着く瞬間を捕らえられるもんなら捕らえてみたいという欲望はありますね。

■覚醒した瞬間があるようですね。

ある映画のワンシーンを見てからなんですよ。終盤で蘇生した主人公が、敵の連射したマシンガンの弾を次々に手で捕らえるというCGを使った現実離れしたシーンなんですけれど、そういう超越した考え方や作り方があっていいんじゃないかと開き直ることができましたね。自分がやってきたことはなかなか困難な道なので行き詰まることもありますけど、そんな時にその映画を見ると確信するというか。2002年と今回の作品は結構そういう部分を強調した作品だったんです。光を捕らえて留めてやれと。それまでは美術は美術として難しく考え過ぎてた部分もあるんですけれど、それ以来、自分の中で何かがはじけて、発想を広げてもいいのかなって。今は、作品を真面目に考えていきたい自分と空想的な試みをしたい自分がいて、両方が同居してていいのだと感じています。

■今回の作品について教えてください。

人間は何かを見たいと思わないと実際に見ていないのと一緒。見ようと思った時、そこに目が光を当てているんじゃないかなと。つまり見ることは希望そして欲望なんですね。そういう無意識の行為をコンセプトとして、待ち針を使って何にもないところに光を留めていこうと思いました。「天衣無縫」の語源(=天女の羽衣には折り目も縫い目もない)を知り、衣の模様をここに留めて、見る人の意識によって浮かび上がらせるようにしたいと。待ち針はある中心の1本から天地左右が全てシンメトリーに配置されているため、何かを意識して見ようとすれば模様が浮き上がってくるはずなんです。見る人の欲望によって何かがそこに存在したり存在しなかったりする状況をつくり出しました。


森野晋次展―天・衣・無・縫―見ることへの希望そして欲望
会場/村松画廊 東京都中央区銀座7-10-8 平方ビル2F
(地下鉄「銀座」「新橋」駅下車、徒歩5分)
会期/2003年9月16日(火)~10月11日(土)
11:00~19:00
日祝休
入場無料
TEL 03-3571-9095

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words:斉藤博美


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「たちあらわれ―天衣無縫」 2003
ステンレススティール、ポリカーボネイト、待ち針

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「たちあらわれ―天衣無縫」部分  2003

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「たちあらわれ―Text ver.」  2003

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「Light Age - Blue berry」1996
顔料、FRP、発砲スチロール
撮影:豊永政史

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「たちあらわれ―線」2002
アルミニウム管 32×3600mm
撮影:桜井ただひさ 写真提供:村松画廊

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「たちあらわれ―点~線~面」2002
鉄、ポリカーボネイト 1500×900×6400mm(H×W×D)
撮影:桜井ただひさ 写真提供:村松画廊

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「たちあらわれ―点」2002
待ち針 約15000本
撮影:桜井ただひさ 写真提供:村松画廊

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「ひかりのわな―てん」2002
待ち針(約20000本) パネル2000×2000×80mm

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「ひかりのわな―てん」部分 2002

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「窓ノアル風景」2003
ポリ波板 インク パネル 
待ち針ポリカ部分:220×220×600mm
パネル部分:220×750×40mm


森野晋次
(Shinji Morino)

1970年 京都市生まれ
1996年 京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
 
個展
1994年 ギャラリーマロニエ/京都
1996年 FLOOR SHOW(ギャラリーマロニエ/京都)
1997年 Fruity(番画廊/大阪)
1998年 The inside(番画廊/大阪)
1999年 Contact with the light(番画廊/大阪)
2000年 呼吸する光(番画廊/大阪)
2002年 Light trap in the space そこにある光のわな
(村松画廊/東京)
2003年 天衣無縫-見る事への希望そして欲望(村松画廊/東京)
 
グル-プ展
1995年 タブララサ展(京都市四条ギャラリー/京都)
FLOOR SHOW
(京都市立芸術大学大学会館付属ギャラリー/京都)
1996年 第4回画廊の視点(大阪府立現代美術センター/大阪)
1998年 西宮浜アートプロジェクト/兵庫
2000年 開かれた世代(アートライフ三橋/京都)
フィリップモリスアワード最終審査展/東京
新鋭美術選抜展(京都市美術館/京都)
2001年 新しい波 京都府美術工芸選抜展(京都府文化博物館/京都)
2002年 新鋭美術選抜展(京都市美術館/京都)
2003年 アートプロジェクト「歯医者さんのばあい」/大阪
アートプロジェクト
兵庫県西宮市マリナパークシティー
吉松歯科医院(大阪市福島区)

三次元空間での素材、形、色などのモノの「たちあらわれ」をとおして、「光」「知覚」「記憶」などをテーマに造形作品を制作、発表している。

2003-10-10 at 01:00 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink

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