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2003/07/25
vol.49 本間 純(Jun Honma)
「イマジネーション・ツールとして」
絵本作家の五味太郎の著書に「ディック・ブルーナの『うさこちゃんと海』は、簡潔な絵で、さびしさとそこには「死」をも描かれている」というくだりがある。本間純の作品には、ちびた鉛筆の森、椅子と机の湖など、子供の眼を思い出し、同時に少しさびしい気分にもなる。緑の葉っぱをつけて手をふる映像では、大の大人の姿にちょっと笑ってしまいながら、自分も緑の中に帰って行けたらいいなと思った。それは、宮沢賢治の物語に出てきそうでもある。宮沢賢治は、普遍的で先進的な思想を、先端ぶらず、田舎で子供たちに教えた人だ。越後妻有に2回目の参加をした本間純に、そのことをダブらせた。
■美術が好きになったきっかけは?
子供の頃、親父がよく展覧会に連れていってくれました。7歳の頃に見たワイエス展は驚きで、違う人と手を繋いで出てきちゃったくらい(笑)。ピカソやカンディンスキー、それと赤塚不二夫も好きだった。大人に混ざって油絵教室にも通った。祖父が黒田清輝に師事していて、結婚式で、祖母の着物に沖縄の花と首里城をさっと描き加えたというものを見た事があります。
■美術大学に進んだのもその流れで?
■学生生活は普通に送りましたけど、ものをつくる方向でいきたくて。当時はミーハー的に、ウォ-ホルやキース・ヘリングなどのパワーに影響されて、立体デザイン科へ。しかしそこで鍛金をやることになり、あらためて自分は、表現したいウ゛ィジョンが先にあり、そのために、その都度方法を変えていくやり方でいきたいと思った。彫刻にとどまらない“表現"をしたいと。
■主な作品を追ってみましょうか。
「Pin」は、それぞれの人にとっての時間の集合体のようなもの。凝縮された一瞬や、時間がふっと止まる感覚を喚起させたくて。「Rope」以降、見る人に "余白"をもたらしたいと思うようになった。ロープだけが回っていて、人は不在だけど気配がするような。小さいロープのときは、何もないところを照らして、そこに空間も時間も変えるような像が見えたらいいなと。龍安寺の石庭は、数えるとひとつ足りない石を「心の眼で見よ」といいますよね。「星の王子さま」みたいにね。そこでは、禅の知識に長けた人も、修学旅行で訪れた中学生も想像ができる。僕の作品も、思いを巡らす装置<イマジネーション・ツール>であるといいと思います。僕にその力があるかは別としても、見る人それぞれが頭に描くものの方がスゴイはずだと信じてますね。
■本間さんの作品には、コドモ心がありますよね。
やっぱり子供でもわかるものがいい。絵本作家の五味太郎さんが出している「自由型」という雑誌で、ペーパークラフトの付録を毎月つくっていたこともありました。デフォルメされつつそれとわかるキリンやワニなど。ギザギザ、ブツブツ、デコボコといった、シンプルで明快でいて生理的にググッとくるような。浮き輪のお面をつくったこともある。ちょっとくだらないものに、子供が興奮しているのもいいよね。
■ちびた鉛筆の作品は、大人も子供も感じ入る。
ギャラリー現で発表したときは、アジアの子供たちに、短い鉛筆をもらう代わりに長い鉛筆と交換してもらいました。子供たちが「現代美術って何だろう」と盛り上がったと聞いて、作品の前後で想像が生まれるのもいいなと思いました。その後、妻有で、地域特有のかまぼこ型倉庫と鉛筆→木→森へと即座に結びついた。はじめに「鉛筆を集めています」という手紙をひとりひとりに書きました。役場の人が小学校にポストを置いてくれたり、作品を見せて「あそこの鉛筆はウチの娘の」なんて自慢していたり、住民の人々が作品にかかわってくれたのが良かった。たとえば本を出すのにも、編集者もデザイナーも書き手も印刷所の人もすべてが「私がつくった本」だと思えるものづくりが理想だと思ってるんですよ。あるいは反応が帰ってくることで、自分が「社会とつながっている」と確認している気持ちもある。
■当時、「越後妻有アート・トリエンナーレ」は未知数で、メリットのある公募とも思えなかったと思うのですが、なぜ応募を?
僕自身、アートを見ると元気が出るというか。時々、過酷な現実を前に、アートって必要なのかなと思うときがあるじゃない? 1992年にドクメンタを見て、ベニスやミュンスタ-でも、アートは必要なものだなと思えて。妻有には、ドキドキするような同じ匂いがしたから。
「Chattering」は椅子とテーブルが引き寄せられたり、離れたり。 日常的なものがどう非日常的なものになるか。「Midori」にしても、画廊を出た後にも思い出されるようなものにしたかった。
■2度目の妻有の作品も、東京に帰った後も尾を引くようなところがあります。
風景が揺らいで見えて、季節が移り変わっていくとますます良いと思う。廃校のプールをきれいにして、湧き水を山から引くのは大変だったけど、町会長が「状況は悪いけど、明るい未来がすーっと見えているみたいだ」と言ってくれてうれしかった。映像では、いつもの働いているところをノリノリで表現してくれた。シンプルなものづくりは見た目以上に大変だけど、ひとつからたくさんのものが見えてきたり、そこにはないものを、ふっと感じるような作品をつくっていきたいと思います。
* 8/9までギャラリー現にて個展、9/7まで越後妻有アートトリエンナーレに出品(前作も恒久展示)、2004年2月、ラ・ガルリ・デ・ナカムラにて展覧会を予定。
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words:白坂ゆり
Pin
1996 photo:Takashi Ohotaka
Rope
1997 photo:Takashi Ohotaka
Grove
2000 越後妻有アートトリエンナーレ
photo:Sigeo Anzai
Chattering
2001 photo:Sigeo Anzai
Melting Wall
2003 越後妻有アートトリエンナーレ
結東集落の住民が、仕事道具を持って風景の一部となる
ワークショップのビデオ
Midori-木を見て森を見る
2003
よく見ると、人や家のかたちが隠れているのがわかる
Midori (2000〜2003 パフォーマンスビデオ)
photo:Noriaki Imai
本間純
(Jun Honma)
1967年 東京都生まれ
1998年 多摩美術大学立体デザイン科卒業
主な個展
1993年 Diary(横浜ガレリア/神奈川)
1996年 Pin(ギャラリー現/ZA MOCA FOUNDATION/東京)
1997年 Rope(ギャラリー現/東京)
1998年 There(ギャラリー現/東京)
1999年 Pass(ギャラリー現/東京)
2001年 Welcome in!(デスぺラード/東京)
Chattering(ギャラリー現/東京)
2003年 新世代への視点2003-midori(ギャラリー現/東京)
主なグル-プ展
1996年 Morphe'96(青山/東京)
1999年 ジャパンアートスカラシップ マケット展
(スパイラルホール/東京)
2000年 越後妻有アート・トリエンナーレ2000(新潟)
2001年 青葉トリエンナーレ(横浜市)
2003年 越後妻有アート・トリエンナーレ2003 (新潟)
2003-07-25 at 11:40 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink
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