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2003/07/22

At This Scool,明倫

「校舎だった場所で」


art186_04_1新聞の死亡記事をもとに描かれた絵


■子ども達の夏休み期間中、生と死について考えることをテーマにした中ハシ克シゲさんと北山善夫さんのふたりによる展覧会が京都芸術センターで開催されている。

■ギャラリー北、南には、宇宙をイメージするようなシリーズや、人間の姿が描かれた北山善夫さんの大きなドローイング作品が展示されている。「生きること」についてあれこれと思いが巡る。ペンで入念に描かれている作品は一枚一枚、大変な時間をかけて制作されたもの。1階の廊下には、さまざまな新聞の死亡記事とその記事をテーマに、北山さんや中学生、大学生などによって描かれた絵も掛けられている。

■元々、明倫小学校という学校の校舎であった京都芸術センター。北山さんの作品が並ぶギャラリー南には、明倫小学校の古い卒業記念写真などの資料もある。大正13年というとても古い卒業記念写真から、太平洋戦争最中の昭和18年のものまで、手に取って見ることができる。

■終戦のたったの一日前に、琵琶湖上空の空中戦で消息を絶った零戦。搭乗していたのは松山英二さんというパイロットだった。プラモデルを接写し、その写真をつなぎ合わせて実物大の零戦を作る中ハシ克シゲさんのゼロプロジェクト。今回の展覧会では、松山さんの搭乗していた零戦をモデルにして、約25000枚の写真を使って制作された。一回目に訪れた時、窓の外から公開制作が行われた制作室をのぞいたら、小学生くらいの子どもが熱心に写真を張り合わせている姿が見えた。一般の人たちと一緒に作られたこの零戦は、現在、大広間に展示されている。

■零戦は、搭乗していた松山さんの消息が絶えた日と同じ8月14日の夕刻に、琵琶湖を臨める成安造形大学グラウンドで焼却される。この作品は、零戦を作り、展示して、焼却するという工程自体が大事にされていて、その過程を経て完成となる。その後は、オーストラリアのサウンド・アーティスト、ティモシー・オドワイヤー氏が制作した音とともに、焼却の記録映像が上映される。2000年から始まったゼロプロジェクトは2009年まで続けられていくのだそう。

■8月10日には、今回の作品となった零戦のパイロット松山さんの同僚だった本田聡さんを招いての講演会が予定されている。終戦のわずか1日前に空中戦があったことも、その空中戦で消息を絶った搭乗員がいたということも、私はこれまで知らなかった。戦争の記憶を話してくれる語り手も、戦争体験を聞くことも年ごとに少なくなっていく。その意味でも、とても貴重な機会になるに違いない。先月、混乱の中で可決されたイラク復興支援特別措置法案。首相は「殺されるかもしれないし、殺すかもしれない。絶対ないとは言えない」と言った。生と死について、歴史について、大人が深く考えなければならない。子どもの夏休み期間の展覧会、ぜひ会場へ足を運んで欲しい。


At This Scool,明倫
2003年7月22日(火)~8月31日(日)
京都芸術センター
京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2
(阪急「烏丸」駅、地下鉄烏丸線「四条」駅24番出口から徒歩5分)
10:00~20:00
会期中無休
入場無料
TEL.075-213-1000

words:酒井千穂

art186_04_2公開制作が行われた制作室の様子


art186_04_3大広間に展示された作品の零戦


art186_04_4古い明倫小学校の卒業記念写真も並ぶ


art186_04_5北山善夫ドローイング「引き落とされた絵画」


art186_04_6ギャラリー南会場風景


art186_04_7ギャラリー北会場風景

2003-07-22 at 02:25 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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