« フロリアン・クラール展 | メイン | At This Scool,明倫 »

2003/07/20

大地の芸術祭 越後妻有アート・トリエンナーレ展

「自然とアート」


art186_01_1古郡弘「盆景-II」(十日町市、下条)


■新潟県の越後妻有地域で2000年にスタートした「大地の芸術祭 越後妻有アート・トリエンナーレ」。2回目の今年は23カ国157組のアーティストが参加している。何か懐かしい。

■十日町には温泉付きの「越後妻有交流館・キナーレ」、松代には「まつだい雪国農耕文化村センター」、松之山には「森の学校キョロロ」という拠点施設が完成していた。松代のセンターには、地元の米や山菜料理がおいしいレストランがある。ジョセップ・マリア・マルティンによる作品は、松代全世帯の屋号を書いたカラーバー。芸術祭への非参加を表す白い板はわずか(参加せざるを得なかった住民もいるかもしれないが)。十日町の宿の人が、松代は町ぐるみでうらやましいとも言っていた。

■十日町のはずれの古郡弘作品は、住民の協力で、ひとつの田の土をさらって、巨大な土壁をつくったもの。様子を見にきていた住民の人に聞くと、田を休ませるのは大丈夫だと言っていた。これは、作家が「見たい」と思ってつくったことが伝わるし、前からあったような強烈な存在感がある。

■今回は、過疎の集落からの要望が増えたという。妻有の中でも過疎は二重三重にある。中瀬康志は、山奥の村に住み、空家を再生して劇場をつくった。眼下に棚田を望む、高台に延びる赤い花道。元こへび隊の水内貴英は、子供が4人しかいない鉢集落に、美大を辞めて1年前から移り住み、茶室をつくった。作家の人柄がそうさせてしまう気もしたが、ここで見えてくるものを選んだ気持ちはわかる。廃校を再生した作品も多かった。ボルタンスキーの作品は、かつてのざわめきの気配がする。津南の本間純など、今回はエリアの端々の方が見応えがある。

■公共事業にアーティストが参画する機会が増え、その方法については、今後、踏み込んだ評価が必要になっていくだろう。作家数とギャランティのバランスも気になるところだ。あるいは、会社やギャラリーを超えたオープンな研究発表が必要かもしれない。

■商店街のゼミの作品には、理屈はわかるけど…というものも多かった。中堅以上の作家でも、近年の美術史の流れに乗るために参加したような作品や、都市の顔をした作品は、ここでは弱いように感じた。

■山道を歩けば、足元も山の向こうも目に入り、思考も巡る。自然は、人を深い窪みに陥れ、同時に包容する。アートは都会のものだと思っていたが、行き来をしないと見えて来ないものがある。また、減反政策と過疎化といった、コメからたどる日本の根深い問題なども、情報としてではなくて、実感できる。

■池田光宏などの野外の光の作品には、都会との闇の質の違いに気づかされた。町を練り歩く「着物流し」には町中の人が参加し、平野治朗+斉藤精一による堤灯代わりの電気風船がゆらゆらと美しかった。

大地の芸術祭
越後妻有アート・トリエンナーレ展

2003年7月20日(日)〜9月7日(日)
新潟県越後妻有六市町村、全域762平方キロメートル
(十日町市、川西町、松代町、松之山町、津南町、中里村)
(越後湯沢駅よりほくほく線十日町駅)
無休
TEL.0257-57-2637(事務局)
03-3476-4360(アートフロントギャラリー内 東京事務局)

words:白坂ゆり

art186_01_2水内貴英「ミーツ」(十日町市、鉢集落)


art186_01_3「まつだい雪国農耕文化村センター」(オランダ、MVRDVの建築)敷地内、小沢剛のかまぼこ型倉庫作品ものぞいてみて。


art186_01_4中瀬康志「儀明/劇場」今後の公演予定もあり。


art186_01_5クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン「夏の旅」


art186_01_6キム・クーハン(金九漢)「かささぎたちの家」子供の遊び場になっている。


art186_01_7カサグランテ&リンターラ「ポスト・インダストリアル・メディテーション」重工業を思わせる鉄とブランコと禅庭

2003-07-20 at 02:03 午後 in 展覧会レポート | Permalink

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a014e885bb6e5970d01538ef402c4970b

Listed below are links to weblogs that reference 大地の芸術祭 越後妻有アート・トリエンナーレ展:

コメント