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2004/03/14
Vol.55 大矢雅章(Masaaki Ohya)
「展覧会は自分のイメージする状態で見てもらうことが大事」
個展会場に入った途端、感嘆した。これまでモノクロームで貫いてきた空間が一転して鮮やかになっていた。版画にヴィヴィッドな色彩が施されたのである。突如宇宙から現れたようなオブジェも新しい展開だった。無論、従来のモノクローム作品も忘れてはいない。本人いわく「水の中に手を入れているような手探りの展覧会」だそうだが、明らかに新天地を感じさせるものだった。隅々まで目の行き届いた緊張感のある展示室には大矢雅章さんのエッセンスが詰まっている。
——版画をはじめたきっかけを教えて下さい
美大を受験し、版画科ができたばかりの多摩美術大学の一期生になりました。中学生の時から油絵を描いたのですが、版画を手掛けるようになったら自分の体質に合っていると思うようになりました。1年生の時に全ての版種を体験するのですが、とりわけ銅版画が一番楽しかった。腐蝕して予想できない何かが表出してくるのが面白くて。銅版は銅の溝の中にインクを詰めて摺りとるんですが、そこにインクの盛り上がりがはっきりとあって、その立ち上がってくる物質感がすごく好きでした。
——モチーフの根源にあるのは何?
制作の方向性が見えてからずっと植物に関するイメージで描いています。両親が植物好きで子供の頃から身近にあったこともありますけど。生態系に興味があって、形態が変わっても繰り返し続いていくものに惹かれます。それは「永久機関」や「霏霏(ひひ)」シリーズというタイトルにも関係しています。「霏霏」には中国語で雨や雪がしんしんと降り続くという意味があるんですよ。とぎれない静かな継続のイメージをテーマにしたかったんです。
——版画という表現において大作と小品をどう考えていますか?
僕はもともと大きな作品を作りたいと考えていました。80年代後半からいわゆる大作版画が世に出てきましたが、ああいった大きなものが自分には適していると思いますし。版画のサイズに関して議論されることがありますけど、作り手側はそれほどサイズについては考えていないのかもしれません。プレス機や紙の大きさというハード面に制約があるため、そのことに左右されている作品が多いんです。問題なのは、作家が自分のイメージに合った版画のサイズを選んでいるかどうかではないでしょうか。この絵に果たしてこの大きさが必要なのかと思うこともありますよ。僕の中では、より物質感を活かせる大きなものか、精巧につくっていく小さなもの、このどちらかに二極化しています。その時々で見せたいサイズというものがありますね。
——今回、色が使われていますけれど
油絵をはじめた時、色彩感覚にコンプレックスがあったこともあり、もう10年以上カラー作品を手掛けたことがありませんでした。モノクロの版画でも自分のイメージの感触を掴むまで10年間かかっていますから、今まで他に手を広げる余裕がなかったんですね。2002年に文化庁の国内研修員になり、加納光於さんのところで1年半勉強したことがきっかけになりました。その成果があの個展(2004年1月/養清堂画廊)なんです。モノクロームで作ったものに色を加えていくのではなく、新しくカラーのものをイメージから想起していく必要性がありました。それで版の特性である複製を取り込めないかなって。色彩の展開は継続や反復のイメージなんです。花びらをモチーフにしていますが、ひとつの型を使って形態の変容性を見せていくことで新しい版表現というのを自分なりに提示していきたいと思っています。でも短時間で自分の手の中に落ち着かせるのは難しく、今やっていることが煮詰まってくるまでに3~5年かかりそうです。自分の持ち味と色がどのように共存していくのか、もっとつきつめていきたいですね。
——色彩コンプレックスは消えたのですか?
最初はひどかったです。なかなか思うようにいかなくてトライ&エラーの繰り返し。考え方自体を変えたわけですからね。今まで右手でつくっていたものを左手でつくっていくような感じでかなりぎこちない。これまでの仕事は粘土をこねて作り上げてきたような過程がありますが、今度は版自体が瞬間的にできてくる。一瞬一瞬が勝負です。それを自らの中に取り込むのは容易なことじゃなくて。銅板に色をのせると化合して色がくすんでしまうこともあり、色をひとつひとつ試してみないと自分の色かどうかわからないんですね。まだ未消化な部分も多いので、本来もっているスキルと新しいスキルをどうやって合わせたらオリジナルなものができるのか模索しています。僕の持ち味は線に集約されていると言われることが多いのですが、線と色をどうやって融合していくか、自分の中での実験です。引き出しをひとつ増やしたいなって思いもあります。
——オブジェはどうして生まれたのですか?
ものをつくのはすごく好きなので随分前からいつか作ってみたいと思っていました。BOX ART展(2002年に開催された全国巡回展)を見てから本格的に制作意欲を刺激されました。そんな時、新潟のギャラリー楓さんの企画展「箱もの展」の出品依頼をもらったのではじめて本格的に制作に取り組みました。木や蜜鑞を素材に使って願わくば10年20年経ってもまだピカピカしている新鮮なオブジェをつくってみたいなって。オブジェも版画と一緒で眺める大きさと手の中で完結する大きさがあると思うんです。僕が持ってつくった時間を持った人が共有できるサイズがいいですね。自分にとっての時間の流れをはかれる箱ですよ。
——それにしてもあの個展会場はいい空間でした
展覧会の時、僕はかなり綿密に図面から起こすんです。自分のイメージする状態で見てもらうことが大事だと思っていますので。版画って額に入れて飾ればいいと思われがちですけれど、できるだけ最良の空間で見てほしいと願っています。僕は他の作家の展示を撮っていたこともあってカメラマンの目が働くんです。最近はショップにしたってただモノを置くだけじゃなく、空間そのものが劇場的になってきていますよね。個展にも自分自身をプロデュースする目が必要だし、他人のものだと思って並べるくらいの客観性がないといい展示はできないんじゃないかと思います。どんなに情熱をかけて制作した作品でも、場に合わなければ出品しないくらいの選別をしないと。描いたイメージを共有してもらうための自分なりの演出にこだわっています。
次回の個展
会期/2004年11月2日(火)~11月20日(土)
ギャラリー219
東京都目黒区上目黒1-24-13
tel.03-3716-0686
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words:斎藤博美
「星霜への考察」2003年
22.5×27.8×9.8cm(縦×横×奥行き)鉛、銅、蜜蝋、木
「星霜への考察(部分)」2004年
35×35×25cm 鉛、銅、蜜蝋、木
「星霜への考察」2004年
35×35×25cm 鉛、銅、蜜蝋、木
「永久機関1」1997年
16×15cm エッチング・ドライポイント
「午下寝る魂」1998年
120×120cm エッチング・ドライポイント
「霏霏 02-20」2002年
100×90cm エッチング
「アプリオリトワネ 03-14」2003年
44.5×53cm エッチング
「アプリオリトワネ 03-2」2003年
20×38cm エッチング
大矢雅章(Masaaki Ohya)
1972年 神奈川県座間市生まれ
1998年 多摩美術大学大学院美術研究科絵画科修了
1998年 多摩美術大学版画研究室に副手として勤務
2000年 多摩美術大学版画研究室に助手として勤務
2001年 第3回東京国際ミニプリントトリエンナーレ運営委員となる
2002年 多摩美術大学版画研究室を任期満了にて退職
2002年~多摩美術大学生涯学習プログラム版画自由工房相談員
2002~2003 年 文化庁国内インターンシップ研修員となる
現在 日本美術家連盟会員・大学版画学会会員・日本版画協会準会員
個展
1996年 ―サーガ― 同和火災ギャラリー(東京)
1998年 大手町画廊(東京)
1999年 ―霏霏― すどう美術館(東京)
1999年 ギャラリー・スペース・M(前橋)
2000年 ―代々・世々― 大手町画廊(東京)
2001年 ギャラリー・スペース・M(前橋)
2001年 湘南台画廊(神奈川橋)
2001年 平安画廊(京都)
2002年 養清堂画廊(東京)
2002年 楓画廊(新潟)
2003年 ―アプリオリトワネ― 湘南台画廊(神奈川)
2003年 ギャラリー・スペース・M(前橋)
2004年 養清堂画廊(東京)
グル-プ展、パブリックコレクション多数
2004-03-14 at 12:00 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink
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