« 宮本智之 運動と洞穴展 | メイン | しんぞう個展「スキンシップ」 »

2009/05/27

加藤亮 envelope 3

Img_2287_3 展覧会のタイトル「envelope3」とは、「封筒」を意味しているのではなく、星が形成される途中の段階の星くずの状態を表す言葉だという。展覧会タイトルの話から始めてしまうとロマンチックに満ちたSF的世界を表現している作品のように感じるが、FRPの大きな立体作品を実際に目の前にすると、唐突なモチーフの組み合わせや、微妙な色の変化、形態の面白さに、まずは心を奪われる。肌色の巨大な魚は、実際に釣られたことがある記録的な大きさのまぐろを模していて、壁にかかったレリーフから抜け出て泳いでいるようにも見える。壁に設置してあるレリーフには、葉脈のようにも、木の枝や、道のようにも見える模様が広がっている。レリーフの表面の盛り上がった白い立体は、水しぶきのようにも精液みたいにも見え、立体作品と平面をつなぐ要素のようだ。魚の表面の襞や、模様の点は何を表しているのだろう?

Img_2283_2 加藤亮さんの作品を始めて見たのは今から5年前で、まだ私は学生だった。最初に作品を見た印象は、お菓子のオマケみたいだな、というものだった。お菓子のオマケは、今も昔もいちいち突っ込みをいれたくなる可笑しな物が多く、なぜこのような物をこんなに小さくしたのか、この色はどうだろう?なんて笑って思いながら、でも愛らしくて大事に取っておく物ではないか。加藤さんの作品は、まず鮮やかな色と艶やかなFRPの表面が目に飛び込んでくるのだけれど、唐突にさまざまな要素(セイウチと電車と虹など…)が絡み合って形態を作っていく。そして個々の作品タイトルは音読できない記号だ。学生だった当時の私はそれらの記号の衝突が生み出す違和感に加藤さんの作品を見出していた。

216_2 加藤亮さんの作品の原点に、宇宙から地球を撮影した写真があるという話を始めて聞いた。見せてもらったその地球の写真は、暗闇にぽっかり浮かび、まるで地球の写真を切って貼って、ふちをぼかしたような、当たり前だが完璧な球体だった。宇宙から見た地球の距離感をどのようにしたら自分に引き寄せられるのか、という問いへの答えを探る方法が立体を作ることだった加藤亮さんの作品には、確かに抱えきれない不可思議な領域が反映されている。それは本人が見た夢の話もあれば、人づてに聞いた巨大な魚を釣り上げた話の場合もあり、架空の動物が実際にいるというような神話的な話までさまざまだ。記号として選んだ稀代なモチーフが絡み合って一つの作品になることで、私たちは惑わされ、どうやって作品を受け止めて、どうやって作品との距離感を自分に引き寄せられるのかわからなくなってしまう。宇宙も地球も実際に存在し計測され科学的に証明されているけれど、宇宙から見た写真上の地球が自分が生活を営んでいる地球と同じだという事実や、宇宙からの距離や時間が手に負えないことがなかなか自分に引き寄せられないことに近いかもしれない。

自分の感動した自分のいる地球にどうやって近づくか、という話はものすごく壮大だけれど、実はとても個人的な話である。加藤さんの作品は、個人とは切り離された断片や風景から始まっていそうで、実はとても個人的な話が繋がり広がって一つの立体を形成し、別の作品とも繋がりながら彼が思う不可思議な領域との距離を描き出しているのではないだろうか。今回見た魚の襞や、表面の模様は、また他の作品にも違う形で登場するだろう。
レリーフの作品に陰刻されている拡がっていく道は、実は空から見た河を表しているそうだ。河は幾重にも別れ、そしてまた一つになりそれを繰り返して海に繋がっていく。魚の表面の模様も実はなにかを模っているのかもしれない。時間や距離が決して途切れないものであるのと同じように、加藤亮さんの作品も脈々と続いていくのだろう。

Img_2288_2
加藤亮 envelope 3
gFAL
2009年5月14日(木)~5月31日(日)
日曜・祝日定休 11:00~17:00 入場無料
小平市小川町1-736 武蔵野美術大学2号館1F
http://www.musabi.ac.jp/guide/map/

words:水田紗弥子

2009-05-27 at 09:51 午後 in 展覧会レポート | Permalink

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a014e885bb6e5970d015432c73e12970c

Listed below are links to weblogs that reference 加藤亮 envelope 3:

コメント