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2007/08/29
紺泉 ある庭師 — 多分のひととき
品川駅からゆるやかなカーブを描く坂道を歩いて原美術館まで辿り着くとたっぷり汗をかいていた。玄関前の大きな木の木陰まで来ると、風がすっと通って、瞬時に空気が変わったのに驚いた。建物に入るとすぐ横のショーケースに紺泉の作品があり、絵画だけでなく、庭師の使う植木鋏もあわせて展示されている。「紺泉 ある庭師 — 多分のひととき」とはなんとも思わせぶりな展覧会名である。
2007年8月10日(金) 〜 2007年8月31日(金)
原美術館
11:00〜17:00(月曜休館、水曜日20:00まで)
じつは11時の開館を表で少しの間、待ってから美術館内に入場した。庭の手入れをしているスタッフたちが芝の上に、空想の庭師によるインスタレーション作品「収穫できないブロッコリーの庭」の一部として置いた丸い人工芝の周囲を植木鋏で刈っておられた。落ち葉を掃いて、彼らが立ち去ったとたんに、風が吹いて、緑の芝生に黄色い枯葉が何枚も落ちたのを観たときから、私のなかでどんどんと妄想が膨らんでいっていた。
そこに実在しないものを想像させることが出来る、これはとても素敵なアート作品だと思う。今回の原美術館での個展は、弧を描いたコーリドアと庭での展示だったが、観た人の数だけ物語が作られていったのではないだろうか。手で直に触れるわけではないのに、触感を体感できた。庭師のシャツが描かれたパネル貼りの綿布。一筆ずつ丹念に絵の具を重ねていったシンプルな貝ボタン。ちりばめられた要素の隙間に妄想が広がってゆく。鉄製の植木鋏の持ち手のゆるやかなラインにですら、敏感に反応させられるほどに、作品を集中して観ることができるのは、もちろん「原美術館」という特別な時空が持つものにも影響されていることは言うまでもない。でも、それは偶然ではなく、紺泉によって綿密に計算されたプログラムのなかに、オーディエンスが泳がされているというとらえ方も一方で可能だ。
上:「ある庭師 IKO070808」
赤の地色に、緑の葉っぱは補色関係にあり、インパクトがある「赤地割り図 緑の芝生」という3部作があった。建物や庭の平面図的なものなのだが、庭のインスタレーションはこの絵画作品がプランを考える上で重要な役割を果たしている。庭に足を踏み入れたのは正午まえ。頭上にきた太陽が樹木や日よけパラソルの影を真下に落とした。すると、芝生の上に、ブロッコリーを描いた皿を植えて描いた弧と、さきほどの影の輪郭がちょうど接していた。なにもないのだけれども、そこに別なものが出来上がって いた。とてもコンセプチュアルな作品で、もともと庭にある野外作品なども含めて、構成が考えられているようだった。
夏の終わりが近づいているのか、小さなトンボが庭を横切って行った。
右:会期中、紺泉が原画・デザインを担当した香蘭社製の「お皿の休日」シリーズにあわせた「庭師のメニュー」(菓子)があった。その一つ「ブロッコリーのマフィン」(チーズ味、ハチミツとレモン味/ブロッコリー柄皿)
words: 原久子
撮影協力:原美術館
2007-08-29 at 10:07 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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