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2007/04/17
インタビュー: ビルギット・オスターマイヤー
かないみきさんから今月のベルリンレポートです。
もう夏のようなベルリン。人々は待ってましたとばかりに日向にあふれる。ギャラリーやブティック、洒落たレストランなどが軒を連ねるミッテ地区にあるカフェで、ギャラリー・ディレクターのビルギット・オスターマイヤーと落ち合う。フランクフルトでのアートフェアから戻ったばかりの彼女は、膝の上にラップトップをのせ、早速夢中でメールのやり取りをしていた。
ドイツには、ドイツ語でProduzentengalerieと呼ばれる作家主導型のギャラリーがある。キャリアをスタートさせたばかりの若い作家たちが、期間限定でスペースの家賃やその他のコストをシェアしながら作品を発表する、プラットフォーム的な役割を担う場所だ。作家たちは自分たちを統括するディレクターも雇う。例えば内部の事務処理や外部との交渉など、作家が制作と運営を同時に行うよりも、客観的な立場で進められるディレクターがいたほうが円滑に事が運ぶということもある。
2005年春、ビルギットは、ドレスデンの彫刻家グループによるギャラリー「DISKUS」のディレクターとなった。もともと2年限定の「DISKUS」は、今月始まったスザンネ・シュタルケの個展で幕を閉じるはずだったが、今後はビルギットがオーナーとなり、現在のスペースを引き継いで自らのコマーシャル・ギャラリーを始めるという。過去2年間の活動を振り返りながら、これからの展開について彼女に話を聞いた。
スザンネ・シュタルケ展「淫欲の園」(5月12日まで)でのビルギット・オスターマイヤー courtesy:Vlado Velkov
——— DISKUSの作家たちとはどのように出会ったのですか?
2005年当時、ドレスデンの10人の作家グループがディレクターを探しているという話を友人から聞き、会ってみようと思ったのです。実際に彼らと会って 話し、彼らの作品がすぐにとても気に入りました。彼らがセッティングした面接には、他にも何人かこのポジションに興味を持った人たちが呼ばれていました が、ある日電話で私が選ばれたことを知りました。
———以前からギャラリーのディレクターになりたいと思っていたのですか?
いいえ。
大学で美術史を学んだ後、美術館などで働くためにさらに博士課程へ進むというようには考えていなくて、実は、世界を駆け回るようなジャーナリストになりた
いと思っていました。写真家のアシスタントになって、仕事で旅をしようと考えていた矢先の急な方向転換でした。ただ、私はいつでもアートがとても好きだっ
たので、まわりの友人たちは、大して驚きはしませんでした。アート雑誌を読み、展覧会やアートフェアにはよく足を運んでいましたし、そこにいる人たちとも
常に関わっていました。ですから、ギャラリーのディレクターになって初めて知る世界ではなく、それまでの経験をうまく役立てながら楽しく仕事ができまし
た。作家たちも、ドレスデンで美大生をしている時から、空き家などのスペースを利用して展示を多数主催していて経験豊富でした。現在でも「何か手伝わなく
て大丈夫?」なんてよく電話をくれたりします。
———2年間の「雇われディレクター」期間を終えた後、引き続きギャラリーをやっていこうと思ったわけを聞かせてください。
その理由はいくつかあります。
2年間一緒にやってきた作家のほとんどは、今後も私と仕事をしていくことになります。ギャラリーの立ち上げから、経営の細かいところまでも話し合うオープンな関係は、まるで家族のようなものでした。そんな美しい雰囲気を彼らと築くことができたというのがそのひとつ。
また、初めてギャラリーのディレクターという仕事をして、それはもう、常にたくさんのことを同時にしなければなりませんでしたが、自分で自分の能力をうま
く使っていることにも気づかされました。例えば、たったひとつのサブジェクトに膨大な時間をかけるアカデミックな仕事には私は向いていないと思います。
とにかく私はアートが大好き。アート・シーンについて、たびたび不平不満の声を耳にすることもありますが、私は、それもとっても好き。本当におかしな場所だと思います(笑)。いつでもインタ−ナショナルに興味深い人たちに出会うことができるのも、大きな魅力のひとつです。
——あなたにとってはパーフェクトな場所のようですね。どの世界へ行ってもあるであろう、実際そこで起こるパワー・ゲームや生存競争といった、タフでなければやっていけないような側面をどう見ますか?
できるだけ、そういったことには影響されないようにしています。特定のグループにアプローチすることが難しく、ブロックされていると感じることもあります が、自分はかなりラッキーだというべきでしょう。ギャラリーがひしめくこのブルンネン通りでスタートさせたことも、重要なポイントだったと思います。周囲 には、同じようにディレクターとしてのキャリアをここ数年の間にスタートさせた友人たちがいます。彼らとのフレンドシップは、とても価値のあるかげがえの ないものです。いつの日か、ともに出展ギャラリーとしてバーゼル・アートフェアへ行けたらなんて思います。
courtesy:Vlado Velkov
———さて、5月から動き出すあなたの新しいコマーシャル・ギャラリーはどのようになっていきそうですか?
今まで通り、彫刻を主要点とします。「DISKUS」の作家たちはドレスデンの美術大学で学んでいたというだけで、彼らがみなドレスデン出身というわけで
はありません。何人かの作家はそこから離れ、今はベルリンで生活していますが、今後はさらにインターナショナルな作家と仕事をしてゆきたいと考えていま
す。6月にはドイツ在住の日本人
作家、稲尾新吾(6月29日〜7月31日)の展示も企画していますよ。
私が「アートバブル」という言葉を口にしたとき、彼女ははっきりとした口調でそれを否定した。アートに対するポジティブで真摯なその態度には、こちらも背 筋の伸びる思いがする。アートシーンを「おかしな場所」なんて笑い飛ばす、大らかな彼女に今後も注目したい。その夜、ビルギットは 持ち前の明るく大きな笑顔に、少しだけ疲れた表情を秘してタクシーに乗り込み、オープニングからオープニング、そしてディナー・パーティーへと消えていっ た。
words:かないみき
2007-04-17 at 03:26 午後 in ワールド・レポート | Permalink
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