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2005/03/17
古賀亜希子展
「美しい信仰」
胸に抱えられるぐらいの小振りの美しい写真が並んでいた。それはキリスト教教会の内部を捉えた写真で、よく見ていくと、ただ静謐なものではなかった。
どんな人をもあたたかく迎える一方で、それを信じるか否かで見え方が変わってしまう空間。窓の向こうの内部、階段、半分扉を開けて礼拝の様子をのぞく——。古賀が少し警戒心をもちながら、その空間に足を踏み入れていく気配が感じられる。
古賀は前回、「自分は幸福に満ちている」と信じている女性の生活空間を撮った作品を発表しており、そのまま受け取る人と奇異に見る人に分かれたという。今回も同様に、古賀自身は距離を置いた、冷めた捉え方をしている。
学生時代、宗教的理由からではなくプロテスタントの大学に入った私は、礼拝堂のひんやりとした独特の鎮静は嫌いではなかった。しかし、礼拝にはほとんど行っていない。
やみくもにユートピアを夢みるのは避けたい。「そこには何もない」と知ったうえで信じるのと、「何かある」と思って信じるのとでは、大きな違いがある。しかし、何かあると無根拠に信じ続けて逆転することもないわけじゃない。信者を疎外するわけでは毛頭ない。ただ、没入せず、意識して信仰しているかどうか、だろうか。
マグダラのマリアは、キリストの復活を最初に見た人、娼婦、罪を許された人など、どう捉えるかで、このタイトルの意味合いが変わってきそうだ。マグダラのマリアはキリストの妻であり、その存在を認めることはキリストを人間とみなす「異端」でもある。そうであれば、信仰のなかにも、ひとつの疑いが差し挟まれることによって道が分かれるわけで、なんだか謎めいている。
信仰することは強いのか、弱いのか。そもそも強さでも弱さでもないのか。
古賀亜希子展「マグダラのマリア」
2005年3月5日(土)〜19日(土)
art & river bank
(東急東横線多摩川園駅より徒歩3分)
13:00-19:00
月休
TEL.03-3721-9421
words:白坂ゆり
2005-03-17 at 03:52 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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