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2005/02/03
小松恵之展ーひとりにしないで
「あさがおに水をあげましょう」
左:ソラシラズによるパフォーマンス(カメラをもつ人:小松恵之、奥:服部太郎、手前:野村たけし)、右:映像作品「モンデ・シ・オモーミ」
小松の作品は、パフォーマンスを記録したビデオ作品で、初日にパフォーマンスがあると聞いた。おもしろがられる可能性もあるが、ドン引きするかもしれないと聞いた。イチかバチかかだ。それは行かなければ。
オープニング・パーティー中にパフォーマンスは始まった。野村たけしという子どものような風貌のパフォーマーが意味不明なギャグを繰り返し、その背後から服部太郎が指示を出し、小松恵之が淡々とビデオを撮る。服部と小松は「ソラシラズ」というパフォーマンスグループにいて、野村を交え、月一でライブも行っているそうだ。
最初は、無意味なギャグを繰り返すうちにやぶれかぶれの境地にもっていくのかと思った。たとえば以前に見たげんしじんのお笑いライブでは、そのウケない繰り返しを客席から絵として眺めることで、芸風が成立しているようなとこがあった。しかし、ギャラリーなので“たけちゃん”の距離が近い。最初こそ拍手が起きていたが、空気が重くなることもあり(友人たちは笑っているが盛り上げはしない)、たけちゃんの目が泳いでいる。
こ、これは拍手し続けたほうがいいのか。でも、タイトルは「ひとりにしないで」だ。ひとりにされていく風景がねらいだったりして。
ところが。さっきから冷徹にギャグの命令を出す服部が、たけちゃんの背中を小突いていた。そのショッキングな場面に、すべての関係性が変わっていく。たけちゃんはいじめでやらされてるのかもしれないし、カメラは傍観者かもしれない。友人がたけちゃんの口のなかに食べ物を押し込む。それはギャグを返しているのかもしれないし、暴力にも見えてくる。笑っていいのか。
しかし、たけちゃんはうれしそうだ。命令者もたけちゃんの世話を焼くために彼から眼が離せない。そうであれば、タケちゃんはウケなくてもおかまいなしでは成立しない。受け入れられないとならないのだ。後から、白岩玄(1983年生まれ)のデビュー小説『野ブタ。をプロデュース』に共通すると思った。しかし、ソラシラズの方は、尊厳が保たれた微妙な距離感がある。たけちゃんは、多くを受け入れていて明るいし、時には拒絶もする。また、たけちゃんの解釈のズレは活かされていく。見るー見られるの関係のなかで、3人の間には上下がなくなっている。展覧会名も、個展だが主体があいまいだ。
映像作品のなかに、街中で邪気を発しているもの(勝手に認定)を塩で清めるというパフォーマンス「モンデ・シ・オモーミ」を収録したものがある。捨てられた冷蔵庫、パブリックアート(知らずにやったのだが)などが清められていた。浄化という言葉は一方で排他的な連想をさせる。たけちゃんが台車に乗る姿は、一見車椅子を思わせる。毒気は見せながらも、無意味なことをゆるゆると、しかし一生懸命やろうとしている。
最近のマンガや小説では、表面に現れていることの隣に書かれるモノローグ(ひとりごと)がすごく多い。表面からははかり知れない多面性がある。若手のアーティストの作品にもそんな傾向が出てきたように思う。キャラクターを使ったポップが、そのうちのどかに思えそうだ。
ビデオは50分もあるけど、最後のシーンはちょっと感動しました。
小松恵之展「ひとりにしないで」
2005年1月31日(月)〜2月5日(土)
Space Kobo & Tomo
東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル地階
(銀座一丁目駅10番出口よりドトール前の三原通りを京橋方向へ、徒歩2分)
12:00〜19:00(最終日17:00まで)
無休
TEL.03-3538-3250
*杉田敦(批評家)による若手を紹介する『little red decode』シリーズ。次回は、2月7日(月)〜12日(土)小山陽子展。
words:白坂ゆり
2005-02-03 at 02:39 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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コメント
shirasakaさんよりトラバあったので、書込みます。この展覧会についてかけなかったのは、なにも長い時間作品を観てないからだけではないのかもしれません。そのことを鋭く(?)突かれた気がしました。sugitaさんとも少しこの展示について会話しましたが、いまアートがどういう射程をもってどこに訴えるべきかを考えようとしたとき、この展示(のようなもの)は、なにか契機となってくる気がしました。
投稿情報: tattaka | 2005/03/02 13:37:20