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2005/01/22

さとう陽子展

「知っていて知らないところへの跳躍」

sasa2「身体もつ絵画ーウサギのダンス」より。右は部分


遅まきながら、さとう陽子の絵画を見た。1986年から発表し続けている彼女は、絵画をはじめ、自身では「所作」と呼ぶ身体表現、「所作ことば」と呼ぶ言葉による表現、写真など多彩な表現活動を行っている(すべては絵画に一巡する)。私は、以前から絵画が気になっていながら、(時期とか場所とか単純な理由で)写真を見る機会が多かった。そして今回、作家にとって大きな節目となる展覧会に居合わせた。

 油絵具とオイルパステルを使い、特に3つの大きな絵画が、3つとも線の具合も塗り重ね方も違う。単にいろいろ試したわけではないことは、黄緑を基調とした厚塗りの絵が物語っていた。ユーモラスな表情の絵。近づいて、そのごつごつしながらも軽やかに跳ね返ったディテールを見ると、作り手の晴れ晴れとした決意のようなものが伝わってくる。
 素朴さは変わらないが、線や空間のシンプルな表現への過程を考えると、ある意味後退するような、あるいはあえてセオリーをはずすように見えるのかもしれない。これまでの系譜を見て来た観客が、戸惑いと自分の考えを整理するかのように語る声が聞こえていた。けれど、そうした手がかりを排除してこの作品だけを見たらどうか。「あったようでなかった」ようなおもしろさがある。
 「このままでは次に行けない切実さから生まれた」と作家は言った。これまで同様身体から発せられるものは大事だが、それにのって絵が成立させられてしまうことから離れてみたかったという。だから、あえて異次元のものや異質なものが同居する視覚的な表現を試みた。地に足をぐっとつけながら、次の瞬間飛び跳ねていくウサギのように、新しい地平へ。線の軌跡も内発的なところからは距離を置いたものになった。また、塗り重ねた絵具の物質感が強調されていくなかで、フィニッシュまでに、いったんふせてまた見ては塗り重ねるという地点が3、4度あったという。削り落としたことはなかった。
 私は、生まれたばかりのものが、周囲からは何か違和感をもって歩き出そうとする感じが自然だし、気持ちよさを感じる。ひっかかりや過剰さなどを、何も知らないがすべてを知っている子どもは持っている。
 絵に勇気づけられることがある。自分のいろんな矛盾やほころびは抱えたまま、冷たい風のなか(決して平気ではないですよ)、ひとつ駅を飛び越して、がしがしと陽気に歩いた。


さとう陽子展「身体もつ絵画ーウサギのダンス」
2005年1月11日(火)〜22日(土)
ギャラリー檜
東京都中央区銀座3-11-2高木ビル1F
(銀座駅より昭和通り渡り、2丁目のラボステーションを左手に3丁目の通りを少し直進)
11:30〜19:00(最終日17:30まで)
TEL.03-3545-3240

words:白坂ゆり

2005-01-22 at 11:33 午前 in 展覧会レポート | Permalink

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