2005/01/16
古郡弘展
「多くの人の手からなる」
編んだ藁を屋根のようにのせ、細かく裂いた新聞紙を張り付けた板塀(のようなもの)がカーブを描いている。その間の道を歩いた先と入り口に、おみくじの木がある。祈りが天地を結んで広がっていく。裏側に回ると、偶然の影でできた山並みが現れる。それらは、古郡弘が2回とも参加した越後妻有アートトリエンナーレの開催地である新潟へとつながっているようだ。
会期中、2003年の妻有と、福井県の金津創作の森での製作過程について、スライドトークが行われた。妻有では、60〜70歳(都心の工事現場でも働く現役の鳶職)の地元民を中心に、鉄バイプを組むところからつくられた。屋根(のようなもの)をつくるとき、職人の彼らが「まっすぐのほうがきれいだ」と言うのに対し、古郡が曲がった屋根にこだわった。価値観が変わる過程で「自分たちの作品だ」という意識が生まれていったという。材木は、製材所や、家の取り壊しで出た廃材をもらった。板を張り、藁を練り混ぜた田の土を、引っ張り上げるように壁に塗り付ける。1カ月半、延べ600人が無償で参加してつくられた、幅45メートル、高さ7メートルの作品は、会期中も地元の人々に守られた。私も、雨のなか駆けつけた人々を見た。
一方、金津の森では、作家主導のもと業者の手を借りてつくられた。やはり積極的に働いてくれる人物はいた。木を避けながら湖を取り囲む(全長196メートル)土壁の作品は、時間・予算・材料を超過し、美術館からは途中で切り上げられないかと言われつつも、軽トラで70杯分の土を使って完成させた。室内の竹と土を使った作品は、金沢の学生の協力を得た。
作家が言いたかったのは、妻有の作品のような、他者の手や意識/無意識が交わる制作のおもしろさであった。むろん、どちらのやり方が良いかではない。「見る」側が「つくる」過程に参加するやり方は、すでに主流のひとつともいえる。プロフェッショナルとアマチュアの境目が曖昧になるなかで、古郡は、曲がった屋根、つまり価値観を変えるところにプロとしての役割があると語った。
ところで、アーティスト個人に完結しない、他者が参加する作品といっても、枠組みをどこまで作家がつくり、関与するか(あるいは放つか)に各作家や作品の差異がある。古郡作品の場合、人や自然などコントロールし得ないものを受け入れているが、イメージとそれをかたちにする判断や技術においてアーティストの役割が占める割合は大きい方ではないだろうか。
私自身は、作家個人の世界も捨てがたく、八方美人みたいだが、それら違って受け取れるものを経験したいと思う。
古郡弘展−森の魂塊−
2005年1月6日(木)〜27日(木)
INAXギャラリー
東京都中央区京橋 3-6-18 INAX銀座ショールーム 9F
(銀座線京橋駅2番出口より銀座方向へ、徒歩1分)
10:00〜18:00 日祝休
TEL.03-5250-6530
words:白坂ゆり
2005-01-16 at 06:40 午後 in 展覧会レポート | Permalink
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