« 岡村桂三郎展 | メイン | 森千裕展 »

2004/02/27

blind date- ベルリン・パフォーマンスの夜

sekai6_1和田淳子が光の中で踊る。目かくしをしていても彼女はすぐに光の場所を探し当ててしまう。奥ではブルクハルトが発砲スチロ−ルをこすっている。

ベルリンの冬は長く暗い。人々を部屋から引っぱり出すためだろうか、2月は大掛かりな催しが数多く行われる。毎年恒例のメディアアートの「トランスメディアーレ」「ベルリン映画祭」に加えて今年は「ベルリン・ビエンナーレ」も開かれている。これらに合わせて1月31日はベルリンじゅうの美術館、博物館が夜中の2時まで開いていた(ベルリンでは夏と冬に一晩だけこうした日がある)。一晩で観客が数万人訪れる夜。ドイッチェ・グッゲンハイム美術館から「パフォーマンスをやってくれないか、一晩好きに使ってかまわないから」と依頼され僕は「本当に好き勝手にやりますよ」と言って引き受けた。

会場は美術館の中にある大きめの体育館ほどのホールだ。天井が高くて残響が長い間持続する。場所を見てすぐに即興の音楽とダンスのパフォーマンスにしようと決めた。この数年、即興というものに興味が深く、自分としても切実な問題になってきている。僕にとってのパフォーマンスの魅力はその場所と時間との緊張感を味わうに尽きる。今回僕が期待していたのは、質の違う緊張感があちらこちらに点在し、観客もパフォーマーもひとりひとり全く感じ方が違っていて誰もその全体像を把握できないようなパフォーマンスだった。

参加してもらうミュージシャンはクラリネット/コンピュータでクリストフ・クルツマン、エレクトロニクスでロバート・リポック、パーカッションのブルクハルト・バインズ、ヴィブラフォンが斉藤易子、チューバでロビン・ヘイワード、ダンスは和田淳子。ミュージシャンはホール内に点在してそれぞれ即興で演奏し、ダンサーはホール全体を使って踊る。時間は3時間。ただし全員目かくしをして。

目かくしをお願いしたのは、「見ること」や「聴くこと」について考える時に、その問題を視覚/聴覚という捉え方にスライドさせずに、目の前の現実として体験してみたかったからだ。彼らには奇妙な注文だったろうけど、彼らの音/動きが素晴らしいからこその遠回しな愛情表現でもある。パフォーマーはそれぞれひとりぼっちでいつ終わるかもわからないまま、できることは音を出すことだけ。僕自身は目かくしをせずにラジカセで参加する。ラジカセ3台に生テープを入れて現場の音、会場の音、会場の外の音をその場で録音して流す。観客でもミュージシャンでもダンサーでもない僕は、あっちこっち動いては誰の音環境にもちょっかいを出すつもりだ。

午後8時過ぎ、開始から数分は無音。やがてロバートの電子音がゆっくり聴こえ始める。彼はホールのはじっこにいるので、反対側の観客には聴こえないだろうぐらいの柔らかい音だ。ブルクハルトはスネアドラムの表面をスチールウールでこすっている。これも半径3メートルくらいの人達だけが聴ける音だ。入口近くでは飲食物を販売していて、時折グラスのぶつかる音が響く。斉藤易子のヴィブラフォンの長い余韻がそれに溶け込む。きれいな音だ。僕はラジカセでしばらくロバートの音を録音し、それをクリストフの後ろまで歩いていってそっと再生する。おそらくクリストフにしか聴こえないだろう。みんな耳を澄ましている。僕もできるだけ音量を絞る。ラジカセでブルクハルトのシンバルの音を録音しながら、別の1台を持ってホールを出る。ビールを飲んで楽しそうなグループの間をうろついて録音する。ホールに戻るといくつかの音が溶け込あって雲のようになっている。和田淳子の踊る姿にみんなうっとり見とれている。いや、彼女の踊りを見ていると自然に気持よくなってくるのだ。どれほどゆっくり見えても彼女の動きは止まることがない。時折会場のノイズなのか誰かが出してるノイズなのか判別不可能になるが、観客は静かに聴いている。大半は美術館巡りで立ち寄った人達で、このパフォーマンスが目当てではないのに。9時を少し回った頃、チューバのロビン・ヘイワードが現れる。別の場所でのコンサートを終えてから来たのだ。いきなり電子音のような低音が出てくる。会場がいっそう静まる。食器を片付ける音もきれいに響く瞬間がある。

開始から2時間が過ぎたあたりだろうか、何人かのミュージシャンが戸惑っているようだった。音を出さずに休んでいる姿もある。別にかまわない、好きなだけ休んで下さいと言ってある。僕は、ラジカセを2台持って美術館の外に出た。雨の中、大通りでしばらく録音してから濡れたまま会場に戻る。ホールの中はますます局地的な緊張感が点在し、観客の興味もばらばらなのがわかる。でもみんな騒いだりするわけではない。見たり聴いたりするものがいろんなところにあるということ。こういうのがやりたかった。僕は、ついさっきまでの外の音を流しながら会場を歩く。ラジカセはスピーカーの向きが変わるとこもった音になるし、観客の中を歩くので近くの人にしか音が届かない。このときパフォーマー達には、人と人の隙間から漏れる断片だけが届いていたはずだ。やがて局地的だった音や動きがなんとなく結びつきはじめる。和田淳子の踊りの中にはその時起こっていることのほとんどが映っているみたいだ。

3時間を少し越えて静かにライトが消されて終わり。みんな気配が消えてしまったように、パフォーマーとしてのスイッチをゆっくり切る。こんなにいろんなことが起こって同時にほとんど何も起こらなかった3時間というのもめずらしい。ここには解釈したり意味を探ったりするようなものはない。感触のはっきりとした音と現実の肉体の動きがあっただけである。できることといえば目と耳を開いたり閉じたりするだけのことだ。それが観客にとっての全てであると思う。そして僕は目を開くことなく演奏し踊り続けたパフォーマー達の体験をも想像で追いかけてみる。彼らと観客の3時間はまるで違ったものだったろう。なんといっても彼らが長い時間のあとやっと目かくしをとった時の顔が印象的だった。観客の拍手の中にすぐに消えてしまったけれど、明らかにここではない世界にいた顔であった。

以下は、後日「あのときあなたが感じていたのはどういったものでしたか?」という質問に対するパフォーマー達のコメントだ。ここでも焦点の散らばった様子がうかがえる。


「前に一度耳栓をしてプレイしたことはあったが、目かくしをしてプレイするのはいらいらするし難しい。大きな空間だし、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。ものをこすりあわせて出す音はそうでもないが、叩いて出す音が難しい。楽器のどの部分を叩いているのか確認できないからね。どこかを叩くたびにその瞬間びっくりした。非常に困惑させられた体験だった」ブルクハルト・バインズ(パーカッション)

「演奏中はただひたすら自分の耳に頼りました。時間も普段とは全く違う進み方。どのくらい演奏したのか、いつパフォーマンスが終わったのか全然わかりませんでしたからね。ただ演奏する音によってのみ相手の存在がわかる。誰の音かは時々わからなくなりましたが、どんな音かにはずっと注意していました。パフォーマンスをしている間は自由な気分で、気が散ることもなく音だけに集中できたのは楽しかった」ロビン・ヘイワード(チューバ)

「時間感覚が完全に狂って3時間がものすごく短く感じた。でも体は正直なものでしばらくすると背中が痛みはじめ、それでやっと長く演奏してるんだなって気づいた。触覚も変化したな。もの全般、たとえばラップトップコンピュータがふだんの2倍くらいに感じた。目かくしをとったとき、あまりの小ささに驚いたよ。ミュージシャンはみんな注意深く聴いていたから、自分の居場所を見つけるのは簡単だったな」ロバート・リポック(エレクトロニクス)

「しばらく思い切り動いてみてわかったのは、案外怖くないということ。30分もすると空間に違った確信が持てるようになり、見えないことによる不安は不思議なぐらいなくなっていた。高い所から自分を鳥瞰している感じがしばしばあり、普通に踊っているときよりも客観的にしていることを眺めている自分に気づきました。音は波のようにゆらゆら動いていて、ミュージシャンたちの音はサーファーが喜びそうな魅力的な波で、それにうまくフワリと乗って遊べたときは快感でした(これは多分、今思い出して感じているのですが)。小金沢君のカセットは、はじめは私のオリエンテーションを随分混乱させるのに成功していましたが、まもなくそれを音の帯あるいは線の存在のように味わうようになり、そうなるともう大丈夫で今どの辺りにいるかますます正確につかめるのは本当に不思議な感じ。時間の感覚はあまり強く感じなかったけど、なぜか終わりの時は自然にわかりました」和田淳子(ダンス)


sekai6_2クリストフのラップトップは作動しているのだが画面は真っ黒。かすかにひょろひょろした音が出てくる。

sekai6_3僕は彼女のダンスを見ることで音や空気の層を感じることができる。他の観客も同じ気持ちだったろう。

sekai6_4ロバート・リポックと和田淳子。

sekai6_5ロバートが中身だけ取り出したハーモニウムを弾いている。

sekai6_6ロバートの周りを歩く小金沢。数分前のロバートの音を流している。

sekai6_7チューバのロビン。観客のささやくノイズのような音から電子音のような音までを出すが、間の取り方と音の入り方/消え方がとても面白い演奏をしていた。

sekai6_8クリストフの方から見た会場の様子。右が斉藤易子、左にブルクハルト。

Photo by Hiroki Mano

words : 小金沢健人


Federal Republic of Germany -20 February 2004 relies
 
blind date- ベルリン・パフォーマンスの夜
ゲストリポーター: 小金沢健人(アーティスト)
1974年東京生まれ。'99年、財団法人ポーラ美術振興財団在外研修助成を受け、以降ベルリン在住。2001年より文化庁派遣芸術家研修員。マニフェスタ4(フランクフルト2002)シャルジャー・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦 2003)など国際展でも活躍。

2004-02-27 at 09:36 午後 in ワールド・レポート | Permalink

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a014e885bb6e5970d015432c74514970c

Listed below are links to weblogs that reference blind date- ベルリン・パフォーマンスの夜:

コメント