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2003/07/03

石川卓磨展

「ホラー映画と物語」


art184_01_1展示風景


■夜道で、たまたま帰り道が同じ人がついてくるだけで怖くて、途中の角を曲がってしまうなんてことがある。しかし、そこを曲がってしまったばかりに別の何かに遭遇してしまうこともあるわけだ。想像も度が過ぎると笑い話だが、現実はいつでもホラーな瞬間をはらんでいる。

■「思考が無限なるものを悪魔に変えた」という言葉ではじまる石川卓磨の個展は、自転車の車輪、森の中で花火に興じる若者、血だらけのシャツといった写真が、特定の筋立てなく並んでいる。70年代半ばから80年代前半までのホラー映画をベースに、自分なりのアプローチで作品化したという。納屋の写真は、アメリカ南部の田舎という定番の舞台の日本版のようでもある。女性の首を押さえた写真は、宗教的な懺悔のシーンを思わせる。映画的に演出されたシーンと、赤い光が灯る倉庫のような現実の写真で構成されている。

■暴力的な題材はこれまで避けてきたが、善悪の割り切れなさや、誰もが被害者であり共犯者であるという意識から、取り上げることにしたそうだ。そもそも映画や写真は監視カメラのように、神の眼であると同時に視姦的なものともいえる。その意味で映画のある種暴力的な性質を生かせるのは、戦争(特に地上戦)とホラーというジャンルだと思う。カメラの俯瞰とのぞきの視点や、画面の外で起きていることに対しても想像力をかきたてるからだ(もちろん暴力が好きなわけではない)。

■もともと絵画を描いていた彼は、絵の豊かさ(絵の具の質感など)や映画の豊かさ(時間や物語)に比べ、写真に“貧しさ"を感じるという。だからこそ、その不可能性を反転させたくてあえて写真を使い、さらに通常の写真表現にはないことをしようとしている。写真は、目の前の現実を捉え、絵のように想像は描けない。しかし、断片的な写真に、見る者が想像力を働かせることで、物語が生まれ、時間を動かすことができるかもしれない。ただ、アートジャンルで映像といわれるものに多いことだけれど、すでに映画にある手法を追い掛けるにまだ留まっているとも思う。空間の中で、見る者が自由に行きつ戻りつできることは異なっていると思うのだが。

■ジョン・カーペンターのホラー映画『マウス・オブ・マッドネス』は、小説と現実が交錯し、物語が現実を超える恐怖を描いている。まさに、戦争や日常に起きた事件を「映画みたい」ということがあるが、ゲームみたいなハリウッド大作がもたらす影響は少なからず世界的なんだろう。すべてが悪いのではなくて、思考しながら見る力が衰えているんだと思う。物語は世界を変える(聖書も最たる例のひとつ)。

■床には「あなたがこれを読むときわたしはすでにここにいないだろう」という紙。私たちは未来ヘの恐怖を前にして、自分で物語をつくる力をつけなければならない。

石川卓磨展
2003年7月3日(木)〜7月15日(火)
appel(アペル)
東京都世田谷区経堂5-29-20
(経堂駅南口より農大通りを抜け、右折)
水曜休 13:00〜21:00
TEL.03-5426-2411

words:白坂ゆり

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2003-07-03 at 12:42 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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