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2003/06/16

水無月展

「右手の行方」


art183_01_1展示風景


■ザ・ブルーハーツの楽曲のなかに「右手が行方不明になりました〜」という内容の「僕の右手」という歌がある。「見たこともないようなギターの弾き方で 聞いたこともないような 歌い方をしたい だから 僕の右手を知りませんか?」。これを私はいつも絵描きの歌に置き換えている。右手に賭ける歌なのかもしれないが、そのような匂いのする手の持ち主を探したい。

■この展覧会は、Itazu Lihto Grafikという版画工房による全編リトグラフであり、テーマもなく展覧会とまではいえないのだが、ユニークな作家もいるので紹介してみたい。


■O Junは、90年代半ばから紙にクレヨンやグワッシュ、もしくはリトグラフに移行し、画布に油彩という、絵に背景を感じさせるスタイルは選ばなくなっている。幼い頃または思春期独特の感情、腑に落ちない出来事、妄想などが入り混じった、虚の世界。それは、私の言葉遊びではあるが「刷り込み」を思わせ、版をつくるという行易が、そうした世界観と合っているように思う。


■もうひとり、不可解な絵を描くのが長谷川繁。中央の山型の白い布は、よく見ると布をかけられた遺体で、バラ、燭台など、祭壇画のように配置されている。子供の頃、そわそわしながら乱歩の小説のページをめくった気配を思い出す。単純なかたちでありながら不穏な図像。自分の眼が恐怖やユーモアを捉えてしまい、イメージが追いかけてくる。


■山本竜基は、いじめ体験から絵に向かっている。ついに出たなと思った。いじめというのは、あまりにパーソナルで表現が難しい。暴力の理不尽さに怒りを持ちながらも、自己を責め、さらにそういう自分を自意識過剰、つまりナルシストなんじゃないのと思う、落ち窪んだループをよく描いている。ファイルを見ると、他の作品も、痛々しさの中に開き直りもあり、自我と客観のはざまで時折冷静さも見え、なぜ描いているのか伝わる。私もまた、暴力というほどではないがいじめに遭った経験がある。思春期のうちにとっくに乗り越えてはいるのだが、世間では後を絶たないし、自身の内でも払拭しきれていない問題でもある。人間には、拳を握る手もあれば、絵筆を握る手もあるんだよなあ。

水無月
2003年6月16日(月)〜7月5日(土)
文房堂ギャラリー
東京都千代田区神田神保町1-21-1文房堂ビル4F
(神保町駅A7出口より5分、三省堂書店裏)
10:00〜18:30 日曜休
TEL.03-3294-7200


art183_01_2O Jun「Das Kinderswohnung(青葉城編)」。


art183_01_3長谷川繁 左上:「Untitled(モノクロ)」左下:「Untitled(バラ)」「Untitled(ローソクタテ)「Untitled(ポット)」


art183_01_4町田久美  左から「オンナノコ」「阿」。お多福が変化する。


art183_01_5武田慶子「RAIN」。1920年代の童画に見る版画や印刷の味わいを思い起こさせる。


art183_01_6山本竜基「なるしずむ」


2003-06-16 at 01:02 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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