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2003/01/20

山崎真一展+三堀智久展

「場と事件の目撃者になる」


art173_02_1会場へ下りる階段からの風景(山崎真一)


■ギシギシと階段を踏みしめながら会場へ向かう。こじんまりした階段を昇ってたどり着く画廊は数多くあれど、こんなに足下が鳴ることはめったにない。かなり古い木造建築なのだろう。初めてこのギャラリーへ来た時のそんな印象を彷佛させる展示に出会った。


■どこかの古めかしい空家(桐生の民家と判明)の写真が載っていたDMだけでは、何を意図しているのかわからなかった。会場は別館2Fとある。別館といっても本館と密接していて、本館階段から脇へそれて穴に入るような階段を降りるとそこに小さな画廊空間がある。以前から不思議な造りをしているとは思っていたが、山崎真一展はこの空間を見せる展示だったのだ。通常白い壁面となっている正面のパーテーションがとりはずされ、その先が公開されている。右手には地下へつながる扉があり、正面奥には洗面台が見える。へえ、こういう部屋だったのか。壁には過去の設計図が展示してあり、ここが大正9年に開業した旅館であったことを知った。

■藤山旅館。明治5年の新橋-横浜間の鉄道開通によって鉄道起点となった新橋はカフェや料理店で栄えたそうだが、そんな時代の建物が震災や戦争を切り抜け現在まで残ってきたことになる。平成10年、マキイマサルファインアーツとして開業され、本館3Fのスペースと併せて様々な展覧会を行ってきた。場所からインスピレーションを受けて空間を作り上げる山崎真一さんは、ここが元旅館であったことを知って建物自体を見せようと考えた。床の大部分に黒鉛を敷きつめて観客が中へ入れないようにしたのは、あえて遠目に見せることで空間への想像力をかきたてたいと考えたからだ。

■そして3Fの三堀智久展。こちらは入るとまず壁面の奇妙な立体が目に飛び込んでくる。人魚のような格好をしたサラリーマンかと思ったら女性像だった。サービス版のカラー写真を何枚も貼り合わせて立体にしている。蜜鑞を塗っているため全体に黄ばんでいて、時間が経つほどに褪色していくらしい。

■三堀さんと話していて気付かされたのは、見ているようで見ていない自分だった。インパクトある形態に目を奪われ、場の事件?を見のがしていた。両端に横たわった人体が何かいいたげに手を伸ばしているインスタレーション。左の人体の手は肩からはずれているものの指はしっかり相手の方を差している。そして二人の間には調理を待つばかりの鶏肉と卵が散在。この違和感ある状況を目撃しながら、人体の形や工作模型のような卵など、個別なアイテムに目を奪われていた。

■人体や生命を主題に制作してきたという三堀さんは、ルネッサンス期の人体を現代人に重ね合わせている。向かい合う男女はアダムとイヴで卵と鶏を加えて生命の循環を表現したという。聞けば語ってくれるが、来場者の主観にゆだねたいという思いが強く、作品にタイトルを付けないのもイメージを限定しないためだ(そのため写真キャプションは私がつけさせていただきました)。「制作は自己選択だから」と語る反面、他者の選択の幅をできるだけ広げたい想いがあるのだろう。カメラを写して組み立てた作品もアイロニカルでいてユーモラスな印象を受けた。

■きしむ階段の先で待つふたつの展覧会。帰りの足取りが軽くなることを願いつつ。

山崎真一展
2003年1月21日(火)~2月6日(木)
三堀智久展
2003年1月20日(月)~2月1日(土)
マキイマサルファインアーツ
東京都港区新橋1-9-2 新一ビル
(JR・地下鉄「新橋」駅より徒歩3分)
11:0~19:00(日休、三堀智久展は最終日17:00まで)
入場無料
TEL. 03-3569-7227

words:斎藤博美

art173_02_2扉の先が気になる(山崎真一)


art173_02_3藤山旅館の設計図(山崎真一)


art173_02_4足を人魚のように曲げた女性像(三堀智久)1995年


art173_02_5男女と卵、鶏肉のあるインスタレーション(三堀智久)2003年


art173_02_6カメラ(三堀智久)1994年

2003-01-20 at 09:56 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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