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2002/11/15

HOSPITAL of GHAMI

「ムスタンでの1ヶ月」


art168_04_1写真を焼き付けたタペストリーがギャラリー中庭から見える


■ネパールからチベットへと通じるヒマラヤ山脈の秘境に「ムスタン王国」はある。標高3600メートルに位置する無医村だったガミ村に、M.D.S.A.(ネパール・ムスタン 地域開発協力会)というN.G.O.が病院がつくった。スペイン・バルセロナ出身のジャウマ・アミゴー、リュイス・サンス、大阪出身の川島慶樹ら5人(ユニット名 :Contemporary Art Game Fantasia[CAGF])が、その病院にモニュメントを設置する ために約1ヶ月この村に滞在した。展覧会は、写真や映像で記録、現地で制作した小品とにより構成されている。

■ガミ村への到達手段は徒歩あるいはロバなど以外にない。川島は標高2700mのジョムソンという村にある鍛冶屋に協力を得て彫刻を一緒に作り、70kgもの重さの作品を 運んだ。ジャウマ・アミゴーは水飲み場や病院の壁、椅子にストライプ模様など着彩をして残してきた。大地に石を並べたり、石を積むなどして制作したのはリュイス・サンス。村人の協力があっていずれも完成した。

■電話のない村だが、必要なことの伝達はすぐに村中に届き渡るほど、村人同志の結びつきが深い。だから、遠方から来た異邦人たちのため、約30名の村人たちが力仕事やさまざまなことを手伝ってくれたという。雨の降らない村の乾燥した大地で砂埃にまみれながらの制作作業や生活を追ったドキュメントの写真(石川コオ)はモノクロで、ビデオ映像(ホセ・マリア・カニャメラス)はカラーで撮られている。最後の部屋でビデオを見ることになる。モノクロで淡々と写し出した世界に突如として鮮やかな色が現われ、肝を抜かれる。

■モノはないが、何かがここにはあるのではないかと思わせる。日本から運んだ絵具や紙で子供たちといっしょに絵を描いたワークショップの様子の写真など、言葉は通じなくても、心は通じていることが伝わってくる場面が数々見られる。これからもきっと彼らの心はずっとつながり続けるのだろう。


HOSPITAL of GHAMI
「ガミの病院にて」
2002年11月15日(金)-11月30日(土)
Gallery KURANUKI
大阪市北区天満橋1-8-5 OAP ARTCOURT 1F
(JR桜ノ宮駅から徒歩8分、JR大阪駅よりOAPシャトルバスにて約10分)
12:00-18:00
会期中無休
Tel.06-354-5444

*オープニングパーティ
11月15日(金)PM6:00~
「ムスタンを語る」
D.M.ヒラチャン(アスカトラベル&ツアーズ)
聞き手/原久子
*ギャラリートーク
11月23日(土)PM1:00~2:30
「異境からの発言」
川島慶樹+リュイス・サンス+クルバードル・タカリ(M.D.S.A)

words;原久子

art168_04_2手焼きの写真約70点が時間軸に沿って並べられている


art168_04_3展示写真のひとつ


art168_04_4各人の現地で設置された作品の大判写真と持ち帰った小品が展示されている。上は川島慶樹作品。


art168_04_5リュイス・サンス本人と作品


art168_04_6ジャウマ・アミゴー作品


art168_04_7現地でのアイデアスケッチと作品のポラロイドが貼られたノート(ジャウマ・アミゴー)


art168_04_8石川コオ作品


2002-11-15 at 12:59 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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