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2002/05/10

米谷栄一展

「本能のベクトル」


art156_02_1メイン会場にあるのはこの作品のみ


■人体をモチーフに感情そのものを表現した作品を制作している米谷栄一さんの作品を久々に拝見した。昔からビジュアルにインパクトがあったが、今回はテーマ「我々は何故殺し合うのか」もしかり、チラシ写真にはすごい形相で戦う男が2体。ゴジラやウルトラシリーズのSFXのような雰囲気が漂っている。

■今回、「闘争本能コード」という語句を用い、像の全身に縄文紋様を型押ししている。相手を脅かす本能は太古から伝達されてきたものなのか?というクエスチョンを掲げ、遺伝子コードの象徴として縄文模様を使用したという。一体我々は何者なのか?という人類の根元を時間的に遡る意味もある。

■会場に入ると、ベンジャミンの植木鉢に囲まれた立像が2体、空間を占拠していた。手前の男は宙から相手にむかって今にも飛びかかりそうだ。右手にはナイフを握りしめ、白目をむいている。襲われる側の男は、抵抗もむなしく逃げ腰で、今にも刺される寸前。もはや降伏しても助かりそうにない。

■縄文模様の鎧をつけた恰幅のいい男性像だから迫力こそあるが、実はドラマでよく見かけるワンシーンにすぎない。と同時に日常いつ遭遇してもおかしくないシチュエーション。古来において自然相手に奮っていた「生きるための」闘争本能はいつのまにか人間に対して芽生え危害を加えるようになった。例の9.11事件は間違った方向に向いている闘争本能が引き起こした悲劇である。

■いまいちど作品の説明を。入ると、襲う側の男の後ろ姿が手前にあり、その先に攻め込まれた男がこちらを向いている配置になっている。鑑賞者は自分をどちらかの男に重ね合わせるか、もしくは彼らを止める仲裁者としての自分を想像することになるだろう。最悪の場面を提示することで、この状況を引き起こすなと示唆する作品である。日常を演出するための小道具として置いたというベンジャミンの鉢植えが、ふと冷たい傍観者に見えてきた。周囲の人たちが傍観したため防げなかった悪夢…電車ホームでの殴り殺し事件を思い出す。

■いつなんどき、事件当事者や第三者になるかわからない世の中。美しい、楽しい、心地良いアートとは対極にある、我が身を引き締めるこんな作品も見ておくべきと思う。

米谷栄一展
【闘争本能コード=我々は何故殺し合うのか】
2002年5月10日(金)~5月30日(木)
ギャラリーパラグローブ
東京都杉並区和田3-54-5 第10田中ビル地下1階
(地下鉄丸の内線「東高円寺」駅1出口より徒歩3分)
13:00~19:00
日曜休(祝日の場合は翌日休)
入場無料
TEL 03-3315-6950

words:斎藤博美

art156_02_2ナイフを持って襲いかかる男

art156_02_3狙われた男に逃げ場はない

art156_02_4最大のピンチを迎えた男の表情

art156_02_5襲う側の表情もかなりこわばっている

art156_02_6入り口にある小スペースには縄文をイメージしたレリーフが展示されている

2002-05-10 at 11:57 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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