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2001/05/02

SALON DE AManTO 天人

「問いかけ、実践する場と人」


134_04_1<SALON DE AManTO 天人>の外観


■本当にパブリックな場とはいかなる空間を指すのかを考え、そう呼べる場所を周囲の人たちみんなと一緒に作ってゆこうとしている現場を見た。「僕はパフォーマンスとしてこの家の再生をやっているんです」というJUNの本業は大道芸人。空家だったこの家を見つけるまでに3年10ヶ月。JUNはそれから大家さんとの交渉に入った。素性も知れない青年の言葉にはじめは耳を貸そうとせず、「絶対に貸さない」と言っていた大家さんも、いまでは実の息子のように彼と接している。

■約10年前まで、おじいさんが独り暮らしをしていた家は、時間もなにも止まったままで町のなかに埋もれていた。そこに呼び寄せられるようにやってきたJUNは、ゴミをいっさい出さずに、家の再生を行なっている。内装の解体からはじまり、そこで出た古材や、おじいさんが残していった道具類を使い、家を少しずつ再生させていっている。太い梁に、高い天井。いまどきのツーバイフォーとは違って、昔の家は立派である。

■取材に行ったとき、JUN以外に若者が4人ほどと、二人の年輩の男性がいた。若者たちは芝居をやっていて、「自分たちもここで芝居をやりたい、見てもらいたいから」と手伝いに来ている。年輩の男性は、一人は現役を退いた大工の棟梁。若者たちにセメントの混ぜ方や段取りを教えていた。もう一人の男性も職人さんだった。建築に関する知識はなにもない大道芸人を、見ていられないのか、近所の人たちが入れ替わり立ち替わり様子を見に来る。すでにたくさんの知恵をさずかったという。学校帰りの小学生もやって来る。もう十分パブリックな場になってきている。

■いま巷ではカフェ・ブーム。確かにカフェに人は集うが、ある一定の年齢層に限られていたり、コミュニケーションはなかったりする。JUNのコンセプトは「公園」のような場をつくることだという。年齢、職業など公園では立場は関係がない。そんな場所から新しい文化は生まれてくるのではないかと考える。その問いかけを実践する場として、ここでJUNはパフォーマンスと称した行為をすすめている。

■埃だらけの現場の一角で、『淀屋橋ゴッホ展〜あまく、けだるい夢〜』という展覧会(2001年5月24日〜6月24日)を同時開催している。ホームレスの画家、淀屋橋ゴッホが、作品が売れたお金で、どうしても再生品では足りない部品を買うために使って欲しいと申し出てくれた。彼が海外を放浪していた頃に目に焼き付いて、いまでも頻繁に描いている水牛が山裾に立つ風景は、埃っぽい現場になぜかマッチしていた。

■SALON DE AManTO 天人のある中崎町は大阪駅から徒歩10分ほどのところだ。空襲の被害も免れた場所で、戦前からの昔ながらの街並をかなり残している。狭く入り組んだ通 りの思わぬところにお社があったり、散策しているだけでも楽しくなる。夕暮れに、ふと空を見上げると少し離れたところには梅田界隈の電飾看板が見えた。芝居のセットのなかにでもいるような感じで、夢か現か判断が一瞬つかなくなった。「なによりも僕自身が再生されている」というJUNの言葉が耳に残った。

SALON DE AManTO 天人
中崎町実験ファイルその1
-リアルSALONを作れ-
空家再生 PERFORMANCE
改  装 GALLERY
2001年5月2日(水)〜7月26日(木)
SALON DE AManTO 天人
大阪市北区中崎西1-7-26
午前中から日暮れまでほぼ毎日開催
入場無料
TEL.090-3030-5220

words:原久子


134_04_2入口から奥までよく見える。奥ではトイレにつながる部分の段差をなくす工事 をしていた。

134_04_3左に照明をつけている場所で『淀屋橋ゴッホ展〜あまく、けだるい夢〜』展が 行なわれている。

134_04_4展覧会の横でセメントを混ぜている。

134_04_5展観中の淀屋橋ゴッホの作品

134_04_62階の天井の太い梁

2001-05-02 at 09:28 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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