« 青木世一の立体名画館 | メイン | ヒグマ春夫展 ことばのイリュージョン »
2000/11/17
佐賀町2000
「絶望と希望」
会場風景
■遠い昔から、お金に換算できない「ものをつくる」人は必要な存在だ。例えばひとつの村で、絵や立体物をつくるのが得意な人がこつこつとつくったものや、歌や踊りなどに、村人は願いや祈りやスピリットを映し、それは希望となりあるいは警告ともなった。いまアーティストの作品を見ることは、消費社会に生きる自分の鈍化した感覚へのリハビリになっていると思う。
■'83年に現ディレクターの小池一子氏が、美術館でもギャラリーでもない日本初のオルタナティブスペースとして設立し、17年間、先駆的な作家とともに伝説的な展覧会をつくりあげてきた佐賀町エキジビット・スペースが惜しくも幕を閉じる。最後の展覧会は3部構成で行われ、第1部は「希望の光」と題した若手のグループ展、第2部は写真家・林雅之が撮り続けてきた17年間の展示風景を見せるドキュメント写真展、第3期は空間そのものを見せる。
■会場に入ると、アーチの奥に、中山ダイスケの凶器のような立体が吊り下がっている。これまで現代的なコミュニケーションの問題を問う作家だと思っていたが、この空間の内から外から見ると、聖なる懐に抱かれた暴力あるいは聖なるものに潜在する暴力という、遙か昔から普遍的な人間的テーマが感じられ、モチーフなど表向きにしか見てなかった自分を省みることになった。
■木村太陽の鳩の作品では、台車を押してみるとわかる、逆転のからくりが思わず笑いを誘う。鳩の胴体の上に滑車がついていて、その上を大きな鳩の頭をのせた囲いがザーッと滑っていく。それは文字通り“アタマ”が動かしているようでいて、大衆が一方向へ動かしてしまう怖さを表す。また、遠くから見たときの鳩の群への恐怖感から視点も逆転し、群をなす個への気づかい、あるいは自分が鳩の一部になってスリリングな気持ちになったりと、想像が膨らむ。
■荻野僚介の絵画は、色やかたちや物質の共存やせめぎあいを、感覚に届くところで見せる。平面の端の2本の鋭利なストライプがその奥へと抜ける空間をつくったり、感覚的な弱点を責めてきたり…。小金沢健人の、監視カメラのような人間のような視点の交錯、あるいは一見クールだが似て非なる偏執的な視点がとらえたような“空間"を把握する映像空間。不思議と心地よい。眞島竜男自らが体現し鬼気迫る映像や写真は、実はフィクションではないノンフィクションをあぶり出す“彫刻"なのかもしれない。
■屋上に上がり、レンガを900個積んだ宮永甲太郎の作品を見ると、レンガの間をつなぐ土に練り込んだ牧草の種から発芽していて、その強さに勇気づけられる。ビルの間から見える隅田川、ビルの中で働く人々。ここにはビルを守る鳥居もある。祈り。レンガでできた船が空へと進んでいくようだった。絶望と葛藤しながら制作を続ける作家と、それを見つめる観客に、希望の光があるような気がした。
佐賀町2000
「希望の光」
2000年11月17日(金)〜12月3日(日)
「ドキュメント佐賀町・定点観測 1983-2000」
12月8日(金)〜21日(木)
「佐賀町エキジビット・スペース」
12月23日(土)〜30日(土)
東京都江東区佐賀1-8-13食糧ビル3F
(地下鉄半蔵門線水天宮前駅2番出口より隅田川大橋渡り右折し直進、「まぐろ屋」左折。 徒歩8分)
12:00-20:00 会期中無休 500円
TEL.03-3630-3243
※12/16(土)19:00〜シンポジウムあり 要電話予約
words:白坂ゆり
「中山ダイスケ「GRIP」
木村太陽
「さめてはいけない夢/さめられない夢」
荻野僚介 手前から 「full moons」「くぎ」「w805×h1310×d39」ほか続く
小金沢健人
「ON THE WAY TO THE PEAK OF NORMAL」
眞島竜男「美人丸」映像作品もあり
宮永甲太郎「佐賀町型」積み上げたレンガの間から牧草が日々成長していく。(写真は11.21現在)
2000-11-17 at 05:03 午後 in 展覧会レポート | Permalink
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a014e885bb6e5970d015432c74ceb970c
Listed below are links to weblogs that reference 佐賀町2000: