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2000/09/22
Vol.24 束芋(Tabaimo)
「レベル的に常に前進して
いいものを作っていきたいです。」
にこやかな笑顔と歯切れのよい会話。束芋はいつも前向きでハツラツとしている。彼女がつくるビデオ・インスタレーションのリズムと毒気は何なのだろう? 現代の日本を映す出す内容は、誰でも感じたり知っていたりするけれど、他の人の表現と違うところは、さらりと若々しくやってのけるところだ。ビデオ・インスタレーションと言っても、ハイテクを駆使し、鑑賞者の動きに反応するインタラクティヴなものでもなければ、デジタルの信号音が断続的にそしてミニマルに繰り返されるようなものでもない。アニメーションのタッチは木版調で、浮世絵風の色づかい。ひとつの作品がオムニバス的ないくつかの短編によって構成されるが、それぞれのストーリーの流れもとても完成度が高い。まだ「にっぽんの台所」と「にっぽんの横断歩道」の二作品のみしか公開されていな「が、それらの作品に加えて新作も発表される10月21日からKPOキリンプラザ大阪ではじまる個展がとても楽しみだ。
10月下旬に大きな個展(キリン コンテンポラリー・アワード1999 最優秀作品賞受賞記念展)を控えているのですが、どんな感じですか?
■これからどうなっていくのか、不安と楽しみの両方があります。学生のときは、授業で出た課題をこなしていけば良かった。そういうのが結構、性分にあっているかもしれなかったとも思います(笑)。締切りがないとなかなか仕事が進まない。キリンコンテンポラリー・アワードを受賞して展覧会のことが決まってから開催まで、約1年くらいあったので、常に気になりつつ仕事をしてきました。
「にっぽんの台所」で受賞して、その後に「にっぽんの横断歩道」をつくったわけですが。プレッシャーなど、いろいろ考えることもあったのではないですか?
■「にっぽんの台所」が完成したとき、次の作品は同じテイストで、違う形のものをつくりたいと思ったんです。特に「信号機」を使ってみたかった。言いたいことは、この2つの作品は同じなんです。「にっぽんの台所」のほうは、アニメーション(以下アニメ)としても完結していて、さらにインスタレーションにも発展させることができた。「にっぽんの横断歩道」はアニメとしては完結したものには出来上がっていないんです。横断歩道を舞台としていながら、ゼブラ(白い横線)はアニメには出てこないんです。インスタレーションになってはじめて満足できるかたちになりました。新作でも評価してもらいたいという気持ちはあったので、もちろんプレッシャーはありました。レベル的に常に前進していいものを作っていきたいです。
台所という家庭生活における重要な場、横断歩道という社会の典型的なルールの一つを切り口に、オムニバス的に作品のストーリーが展開してゆくし、とりあげているテーマも「現代社会」の病理みないなものを取り込んでいますが、常にそういったことに興味を持っているからですか?
■自分自身で最近気になっている状況とか、事件そのものがいくつかあるんです。新聞やニュース、ワイドショーなどで見る報道。自分はこう考えているけど、というのはあるけれど、でもそれをさらに客観的にみるようにしていくと、何につけても“じれったい”ものがあるんです。矛盾もある。それ自体が日本的な状況だと思うんですが。作品に対して、思ってもみない反応が、見た人から返ってくることがあるんです。作品ってそういう意味でインタラクティブなものなんだな、って思ったりしたんですが。相手に攻撃的な質問を浴びせられて、それに対して答えることのできない自分がいて…。いろんな人の反応が私を変えていったということもあります。「にっぽんの台所」をつくったときは、政治などに無関心な日本の社会をステレオタイプな見方で描いただけだったんです。つくっていくうちに、今まわりで起こっていることに興味を持ちはじめた。わからなくては作品がつくれないんですね。知っていかないと。作品に対しての反応、社会というものをどう見ているかという他人の意見が返ってきて、そこに自分がいて、意見の交換をする。こう状況に自分が立つことも面白いと思いはじめました。
では、はじめから社会にさまざまな動きに対する興味が強い人だったというよりは、制作の過程で興味が増していったわけですね。
■普通に就職していたら、考えずにいたこともあると思うんです。社会人として密接に社会とかかわってないといけない。自分の問題として直面することに、行動して対応していかないといけないことになったんです。プロパガンダとかとしてではなく、自分のフィルターを通して面白いと思えるネタしか扱っていないってところもあるんですけど。困るのは、作品を見た人に社会的な題材を扱うアーティストとしてみられてしまい、そういうレッテルを貼られてしまうことです。それは私の思惑とはズレていますから。
10月の展覧会で発表する新作について少し聞かせてもらえますか?
■今回の舞台は“銭湯”なんです。タイトルは「にっぽんの湯屋(男湯)」。男湯でなければいけなかった理由は、オープニング部分の設定にあります。正面と両サイドの三面に映像をプロジェクションするインスタレーションなのですが、三つの映像が同時に進行しなければ一つものとして完結しないので、インスタレーションというかたちでしかできない作品です。かなり大がかりな作品になると思います。
今後の予定
「キリン コンテンポラリー・アワード '99
最優秀作品賞受賞記念展」
束芋展
2000年10月21日(土)~11月12日(日)
(KPOキリンプラザ大阪)
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words:原久子
「にっぽんの台所」1999 インスタレーション内部正面 ビデオ・インスタレーション
「にっぽんの台所」1999 (障子に穴を開けて盗み見しようとする場面) スティル
「にっぽんの台所」1999 (屋上から身を投げる高校生) スティル
「にっぽんの台所」1999 (“政治家はまわるまわる”電子レンジのなかで呪文のように言葉を唱えながら同じところをクルクル回っている) スティル
「にっぽんの横断歩道」1999(投影されたビデオを画面のまえにひかれた横断歩道の白線、信号機) ビデオ・インスタレーション
「にっぽんの横断歩道」1999(雑踏を歩く人々) スティル
「にっぽんの横断歩道」1999 (鯉の入れ墨をした背中)スティル
「にっぽんの横断歩道」1999 (鯉の腹から白い粉が入ったビニール袋を取り出しピストルと入れ替える) スティル
束芋(Tabaimo)
1975年 兵庫県生まれ
1999年 京都造形芸術大学芸術学部情報デザインコース卒業
個展
1999年 「にっぽんの台所 束芋展」
(立体ギャラリー射手座 ・京都)
2000年 「にっぽんの横断歩道 束芋展」
(ギャラリー16・京都)
2000年10月
開催予定 「キリン コンテンポラリー・アワード '99 最優秀作品賞受賞記念展」
(KPOキリンプラザ大阪)
グループ展
1996年 「幸福展」(ギャラリー楽・京都)
1997年 「情報デザインコース東京選抜展」(スペース21・東京)
1998年 「旅人展」(ギャラリーイシス・京都)
1999年 「キリン コンテンポラリー・アワード1999 受賞作品展」
(キリンビール新川本社・東京、キリンプラザ大阪・大阪)
「神戸アートアニュアル '99 “私 ⇔ ”」
(神戸アートビレッジセンター)
「Exit」(Chisenhale Gallery・イギリス)
2000年 「オ-バ-ハウゼン国際短編映画祭」(ドイツ)
インターナショナルコンペティション正式上映作品として出品
「RETINA Festival」出品(ハンガリー)
2000-09-22 at 09:26 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink
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