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2000/07/28
小野博展、戦争期の美術展
「日本の夏に」
アルメニア「Land & Mine」より
手前がぼけているのが、こちら側と地平がつながるようだったり、自分たちの足元の拠り所のなさを象徴しているようにも見える
■先日、電車内で小学生の女の子が父親に「今日、原爆の映画を見て、死んじゃってかわいそうだった」と話しかけ、父親が何も答えず、話をそらす姿を見かけた。父親自身が親に語り伝えられた経験がないのかもしれない。日常会話で「死」という言葉を口にするのがはばかられるような雰囲気もある。今という時は日本にも戦争があった時代と地続きであるはずなのに、もやもやを残したまま、私たちは分断させられた場所にいて、過去が見えなくなっている。
■1999年5月から2000年5月まで13カ月の期間で、20世紀の負の歴史の国のべ50カ国を撮影して歩いたという小野博の写真展を見た。人間の処理能力を超えた膨大な情報のなかで失われている現実感を、あえてその20世紀的産物である映像を用いて“こことそこ”“今と過去”とを見る側が交差させることにより、取り戻そうとするものだ。
■展覧会は、地雷を抱え込むカンボジアとアルメニアの土地を撮った「Land & Mine」、ベルリンと南アフリカの日常を撮った「When Tomrrow Comes」の2期に分けられた。人間が犯した罪の場所を追って20世紀の足跡をたどろうとしたところ、結局戦争の影が跡を絶たなかったようだ。とはいえ彼の作品は、いわゆるマグナムみたいな社会派の写真ではない。廃墟であっても、復興した町角であっても、どこに立っても、被写体である土地と同じ距離で接している。地雷が日常にあるカンボジアの森さえ等しく美しかった。でも、そこに地雷があることを忘れさせる写真ではなく、そこの問題はここの問題でもあることをより強く印象づけていた。客観的な写真なのだろうが、私には強く体感的だった。
■結びつけるのは強引かもしれないが、「戦争期の美術」という戦争画展も、紹介しておきたい。現代美術資料センター・笹木繁男氏の最後の企画展示だそうで、「戦中期の翼賛絵画」「戦後の反戦絵画」「現代の引用絵画」の3部構成からなる。古い美術雑誌や、陸軍や海軍の記録としての美術、絵はがきなど、藤田嗣治、堂本印象、石井柏亭、藤島武二などが名を連ねる。時代の渦中で彼らはなにを見、なにを考えていたか。複数の展覧会から時間と場所を交差させ、体感し、考えることも、その場の空気や情景ごと印象に残る“語り伝え”を受け取ることになるのだろう。
「小野博展」
Land & Mine
2000年7月28日(金)〜8月24日(木)
When Tomorrow Comes
8月25日(金)〜9月14日(木)
GALLERY SIDE 2
渋谷区千駄ヶ谷1-29-4シマクレストB1F
(JR千駄ヶ谷駅徒歩5分。津田ホールを左手に代々木方向、ルノワール左折、2本目角の駐車場右折)
11:00-19:00 日月休
TEL.03-5771-5263
「資料でたどる 時の忘れもの 戦争期の美術−画家はいかに戦い、敗れたか」
2000年8月21日(月)〜9月2日(土)
ギャラリー川船
中央区京橋3-3-4フジビルB1
(銀座線京橋駅3番出口徒歩3分。ブラザーの右手の道を入る)
11:00-19:00 日休
TEL.03-3245-8600
words:白坂ゆり
カンボジア「Land & Mine」より
地雷のある日常の風景
ベルリン「When Tomorrow Comes」
日光浴する人々
コソボ「When Tomorrow Comes」
馬と人、枯れ草と緑と
ルクセンブルク「When Tomorrow Comes」
公園を真上から見る。カップル、ブランコで浮遊する少女、歩き出す赤ちゃん、すべてが同時進行
「戦争期の美術展」より
戦後に蔵の中に封印された絵、戦いの臨場感というよりデザイン的といっていいような構成された絵画、宮本三郎が南方に接し、新しい発見のなかで現地の人を描いたスケッチなど、さまざまな側面 が
2000-07-28 at 01:44 午後 in 展覧会レポート | Permalink
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