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2000/07/27
ミロスワフ・バウカ展
「それぞれの生きている時間と体験」
「190×40×40」(2000)
家族の象徴。家族の全員のベルトを輪にしてつなぎ合わせたイメージ。
■今回のバウカ氏の展覧会は、一般から広く集めた使い古しの石鹸を用いたり、事前に小・中学生を対象に行なったワークショップで彼らが描いた絵を用いるなど、多くの人たちの協力を得て構成されたものだ。石鹸は男女共用で使用されたか、あるいはいずれが使用したものかによって分けて集められた
(http://www.nmao.go.jp/sekken.html)。 ワークショップのテーマは当初「戦争」であったが、子供たちは戦争の経験もなく認識できない場合もあるので、「怖いものはありますか?」というテーマに切り替えられた。
■バウカ氏は1958年生まれで実際には戦争体験はないが、彼の生まれたポーランドでは、戦争の影が彼が育った時代にまで及んでいたという。作品には、人間が生きるということが語られている。〈食間に〉というタイトルは、食事と食事の間という意味。人間は生きていくために食事をとるが、食間にさまざまな行為をする。それは、文化的な活動でもあるし、戦争であることもある。そんなことからこのタイトルはついたようだ。
■ 日本の人々の体験を、ワークショップや石鹸に残された生活の痕跡によってあらわらし、ポーランド人であるバウカ氏の体験と重ね合わせながら、比較していこうという試みが今回の展覧会のなかにあった。
■ たとえば、恐怖に関しての比較は、「浴室の床」というスノコ状になった板の間に塩が埋め込まれていて、この塩は恐怖におびえてかいた汗が乾いたところを表している。ナチの強制収容所の床などをイメージできるものとしている。当時の収容者の恐怖と、ワークショップに参加した子どもが感じる恐怖との比較。子どもたちの絵には、震災で崩壊した街や、火災、仁王立ちの怖いお母さん・・・そして今の日本を象徴していると思えたのは、厚底サンダルを履いた茶髪の少女の集団が描かれていたことだ。子どもは敏感にさまざまなものを感じ取っている。
■「しーっーっーっ」は、一見、安っぽいパーティ会場の飾りのように見えるものだが、近づくとそれが新聞の訃報記事であることに気づく。その深刻な記事には、人の人生の断片がある。「死」というものを、「生」の対極にあるものと捉えるのではなく、その間にある身近な営みに焦点をあてつつ、「死」と「生」についてワークショップの参加者も、展示をみにきた人たちも、いっしょに考えていこうという作品づくりがなされている。
ミロスワフ・バウカ<食間に>
2000年7月27日(木)~9月3日(日)
国立国際美術館
吹田市千里万博公園内
10:00~17:00(入館は16:30)
*第2・第4土曜日は無料観覧日
毎週水曜休館
*近作展25「東島毅」展も同時開催
TEL 06-6454-8600
「しーぃーぃーぃ Shiiii」(2000)
日本の新聞の訃報記事を輪にしてつないだもの全長57メートル
「しーぃーぃーぃ Shiiii」の部分、訃報記事
「吊るされた石鹸 Hanging soaps」(2000)の一部分。配色、かたちの連なりが面白い。石鹸は男性が使用したものが186cm、女性のものが415cm、共用が1040cm。
「25×25×30」(2000) バスケットボールを切って、床の器になった部分には塩が入っている。17世紀の静物画のテーブルのうえのむきかけのオレンジやレモンと近いものをバウカ氏は感じているらしい。
会場風景。天井から吊り下がっているのが石鹸の作品。
壁にはワークショップに参加した子どもたちが「怖いものはありますか?」という問いに対して描いた絵。高さは描いた子の身長を表しているとか。床部分はバウカ氏の作品「浴室の汗」(2000)
*all works are owned by artist,courtesy by Galerie Nordenhake.
2000-07-27 at 01:36 午後 in 展覧会レポート | Permalink
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