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2000/05/06
言及する振動
「網膜の記憶」
片岡健二「I can't see well」162.0×130.3cm、うつむきかげんの女性の肖像
■片岡健二(77年生まれ)、川手華(76年生まれ)、前田朋子(75年生まれ)という若い三人のぺインターの展覧会「言及する振動」。このタイトルにある「振動」という言葉は、企画者であるギャラリー・ディレクターの唐木氏が三人の作品に共通して感じたものだという。それぞれ異なるものではあるが揺らぎにも似た「振動」を感じて、三者の作品をひとつの会場で並列させた。比較しながら、その差異を見せることで言及していきたかったのだろう。
■彼らは皆、写真をもとに描いていく。片岡さんは身近な女性をモデルにして、顔写真を撮り、それをみながらポートレイトを描いている。背丈ほどもあるようなサイズのキャンバスに、真正面を見ている顔が写し出されている。キャンバスに近づいて見ると、一旦は細かく絵の具で描いた面を、ブラシを左右に流すようにして、輪郭まで含めてぼかしていくような描き方だ。以前、同じモデルを描いた作品が複数並んだときに、顔の様々な部分の筋肉の動きによって、また、影がつく部分によっても表情そのものが全く違ってみえ、内面的な心の揺れ動きまでが表現されているように感じられた。筋肉の動きは実際には消されているのだが、それが見えてくるのも不思議な経験だった。
■川手さんの作品は、風景を撮った写真をキャンバスに描いている。微妙なコントラストで描いているので、肉眼ではとらえられるが、このページに掲載された画像では、どこに何が描かれているのか、わからないだろう。キャンバスに、おぼろげに輪郭だけが見えるが、私たちの目で見たものの記憶というのは、その程度のものなのだろう。しかし、脳裏から消えない記憶がある。油絵の具で描かれた光りと影がつくり出す、視覚的な演出が興味深い作品だ。
■前田さんも写真をもとに描いている。彼女が描く風景には、道や橋、川がよく登場する。幼い頃、母親がいっしょに歩きながら、道の話しをしてくれたことの記憶がいつも彼女のなかに原風景として現れてくるようだ。記憶のなかの道と、現実に自分の前にある道をダブらせている。ここでは花模様だが、水玉模様などの布地の模様(パターン)といったものが、さらに重なっていく。近景としてある模様、そして遠景にある風景。この両者が重なることで出てくる距離感に、ある種のリアリティが感じられる。
■これからの活動が楽しみな三人の作品をみていくと、「みる」という行為について再び考えさせられる。日常における私たちのとても曖昧な「みる」という行為。網膜に記憶されたものは、例え似かよったものを見ていても、網膜にはまったく異なる「象」を映し出し、記憶しているのだと改めて思った。
言及する振動(片岡健二、川手 華、前田朋子)
2000年3月6日~11日
Oギャラリーeyes(大阪)
http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/
片岡健二の小品。全体をぼかすのではなく、最近は左の絵のようにほとんど上から塗り込んで顔を消してしまい、輪郭だけを太い線で白くあらたに描き加えている。
川手華「very private. 1999.8.26 夜」145.5×112.0cm、この写真では真っ黒のベタ塗りにしか見えないが、肉眼では、画面の上部に、小高い丘が描かれている。その手前は水面なのだそうだ。
川手華、バナナを何故描いたのかと本人に尋ねると、描いた日の朝食べたからだと言っていた。ここにも風景が、白く塗った背景の下層に描かれていた。
前田朋子「among」194.0×166.2cm、風景と布の模様のパターンが、前田さんの記憶のなかで重なっていく。
2000-05-06 at 12:46 午後 in 展覧会レポート | Permalink
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