« MOTアニュアル2000 低温火傷 | メイン | 小粥丈晴&雄川愛展−TRIP DAYS »

2000/01/18

Vol.18 玉井健司(Takeshi Tamai)

eye19_fig

玉井は、空間に柵を置いたり、それを写 真に撮ったりしている。彼はロッククライミングのインストラクターをやっているそうで、今年1月に斉藤公平さんらと行ったグループ展では、アメリカで岩に登り、岩の頂上に柵を置いた映像と写 真とポスターを発表していた。名づけて「ボルダー・プロジェクト」。4~8メートルくらいの岩をボルダー(石ころ)といい、ロープを使わずにこうした岩場を登ることを「ボルダリング」というそう。プロのクライマーと二人で行き、柵は、かついで登ったりロープで上げる。岩と柵の形が完全にフィットしなければ、次の岩を探してまた登る。
インタビューの日、彼はスケボーで現れ、スケボーは努力しないとうまくなれないから好きだといった。小さい頃は、委員を決める際に風紀委員とかが残ると、早く帰りたいから「やります」といっちゃう子供だったという。たぶんいまも変わってない。生活費と渡航費は、おもにビルの窓拭きの仕事で稼ぐ。なぜ柵で、なぜカラダを張るのか、話を聞きながら、ずっと考えていた。ちなみに「たまい」と「たけし」の頭と末尾のアルファベットをそれぞれ取るとTITI、柵のかたちになるんだなぁ、これが。

●美術家になりたいと思ったのは?
■子供の頃から絵と歌しかほめられなかったんですよ。小学生の頃は、5分くらいで描いてもほめられたんで、早く終わりたいから「これでいいや」って手を抜いたりして(笑)。で、将来は建築家になろうと思ってた。高校でラグビー部に入って勉強しなかったので、進路面談で「なれるとしたら絵描きだ」っていわれて。大学入ってからは、コップの影を描いていました。ものを見て書き変えたりするのはウソ臭い。抽象画も好きじゃないし、写すのがホントっぽいかなと。次はコップを通して空とかの写真を撮りました。学校や家で花を育てていたので、その後は植物や温室のインスタレーションをしました。柵は、「桐生再演」で、本物の温室に合わせて庭に置いたのが最初。そこに合うのを、すごい探した。

●柵は庭造りからはじまってるんですね?
■そう。庭といえば柵、みたいな。ベランダのフェンスも好きかな。小さい頃マンションに住んでいて、ベランダから飛行機のサーチライトが見えたので、よく出てたんですよ。階段に座っている時間も長かったので、手すりも好き。

●柵は、“居場所をつくる”とか“越境”とかなにか意味はあるんですか?
■ないです。もともと置くものだから、不自然じゃなくていいから。人や環境に合わせる作品が好きですよ。「自分」とか言いたいこともない。どう見られてもいい。

●外国に持っていくようになったのは?
■その次のグループ展で適当にやりすぎて(笑)、岩登りもしたいし、柵を持ってアメリカに行きました。岩登りは7、8年前に山岳部の友達の結婚式が山であって、余興で岩登りがあったのがきっかけ(笑)。フリークライミングは、手がこっちに行ったら、次、足はこっちとか頭の中で動きをイメージして組み立てるのがいいですね。岩がある風景も好きで、自分がその中にいるのもカッコイイと思って。断崖絶壁にぶら下がる自分が(笑)。誰かとの勝負でもないから、世界のトップにも課題が必ずあって終わりがない。努力した人が登れる。たまたま登れることはない。僕は、偶然できる作品も好きじゃなくて、絵はそれでやめました。写真は、カメラが撮ってくれるから。こんなの撮ってくれた、すげえなぁと(笑)。目だと偶然にできたように僕が何か働きかけてしまうから、ファインダーをあまり覗かないんです。

●柵を岩に置こうと思ったのは?
■もともと肉体労働が好きで。道路工事とか、ちゃんと働いてお金をもらう感じがいい。美術やるのにも、身体を使わないのはウソくさいなぁと思って。ミケランジェロやロダンが石を彫ったみたいに、汗を掻いた方がいいかなと。この前は2週間でカリフォルニア全域を回りました。サンフランシスコからサンディエゴ、シエラネバダ山脈のネバダ州との境目を回って、ビショップという町、ヨセミテ国立公園。パートナーは有名なクライマーで、よくわかんないけど、おもしろがってはいる。無駄なことをすることに理解はあるんですよ。冒険家みたいな人で。

●親に「そんなことして何になるの?」とか言われません?
■いや、そういうときはキレて「オレがやらなきゃ誰がやる!」っていいますよ(笑)。

●誰もいないですよね(笑)。でも、命を落とす危険だってあるんですよね?
■ありますけど、絶対ないようにします。ほんとにヤバイと思ったら途中でもやめます。無茶なことがしたいわけじゃないんですよ。死ねないッスね。「生きる希望を与えたい」社会派なんですよ(笑)。くだらなくていいから、やりゃあいい。だから、作品のテーマでいうと「生きるための勇気と自由のために」って感じです。不自由だと感じたり、ほんとの意味で自分じゃないことはしたくない。

●男気ありますね。筋が通ってるというか。
■僕は男っぽくないんですけど、男っぽいのにあこがれる。ヤクザ映画とか(笑)。岩に登ってるときは、「ここで落ちても絶対死なないから大丈夫」とか自分に言い聞かせますよ。「お前ならできる。がんばれ」とか。でも、登ったら風景も見ないし、終わった喜びで早く帰りたい(笑)。作品もすぐかたづけていいし。征服欲とか達成感とかじゃない。誰も来ないとか、空に近い感じが好きなのかな。スカイダイビングの作品とかもつくりたいですよ。とかいって、ほんとはたぶん岩登りも好きじゃないんですよ。想像するとカッコイイからやるけど。

●庭いじりも好きなんですよね?
■雑草でもいいんです。小さい頃から、ジオラマとか箱庭みたいなのが好きで、それが建築家になりたかった要因だと思うんですけど。

●柵は、箱庭のイメージもありますか? 箱庭をつくってた少年が、大人になって岩という大きな場所にどんどん出かけて、自分の箱庭を打ち立ててくるようになった、という。俺がやらなきゃ、誰がやるって。
■ああ、ホントだ。つじつま合いますね(笑)。「俺がやらなきゃ、誰がやる」ってなにか事を始めるときは、みんなそう思うと思いますよ。

今後の予定

2000年1月6日〜1月29日(土)
グループ展「consecrate to you-…を捧げよう-」
モリスギャラリー
東京都中央区銀座7-10-8第五太陽ビル1F
TEL03(3573)5328
11:30~19:00(1/29~17:30)
無休 無料

この後、グループ展をいくつか予定。
11月頃、またアメリカに行くつもりだという。


words:白坂ゆり

eye19_01「Gallery」(1998)

eye19_02「Las Vegas Motel Tower」(1998)

eye19_03「Fence」(1999)

eye19_04「Apple City」(1999)

eye19_05「J.T.1」(1999)


玉井健司
(Takeshi Tamai)

1968年 埼玉県生まれ
1995年 愛知県立芸術大学絵画科油画科専攻卒業
1997年 東京芸術大学大学院油画専攻修了
展覧会
1993年 「Operative Life Cycle」
名古屋市市政資料館(名古屋)
1994年 二人展 東京芸術大学立体工房(東京)
地下室展示 木村裕子宅地下倉庫(東京)
「NOCOUNT PAPERS 増刊号2」
(東京・青山市街)
1995年 「写真で語るIV」東京芸術大学陳列館(東京)
1996年 「for your vision vol.2-various direction」モリスギャラリー(東京)
1997年 個展 ギャラリーKIGOMA(東京)
「桐生再演4」(群馬県桐生市街)
1998年 個展 金沢美大マン研ギャラリーアートサロンピンク(金沢)
「BIBLIOTEKA-ARTE」長久手町中央図書館(愛知)
千葉邸でのインスタレーション(静岡)
1999年 「もうすんだとすれば」(大阪)
2000年 「CRAZY CLIMBER狂人越境者」ギャラリイK(東京)

2000-01-18 at 08:34 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a014e885bb6e5970d01538ef40ae2970b

Listed below are links to weblogs that reference Vol.18 玉井健司(Takeshi Tamai):

コメント