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1999/10/01

第一回熱海ビエンナーレ

「そうだ、熱海へ行こう!」


art88_01ビーチほか、街の数カ所に熱海ビエンナーレの幕がかけられていたが、あまり意識されていないような……。


■熱海へは、なぜかこれで3度目。10年ほど前に来たときも思ったが、かつてのにぎわいを名残惜しむような独特のさびしさがある。事実、近年はホテルの休廃業が目立っているらしい。いま、そんなホテル跡地や空き地、海岸や商店街などに、40作家による現代アート作品が設置されている。

■『金色夜叉』の「お宮の松」でバスを降り、もとホテルだった場所にある熱海観光協会1階のビエンナーレ・センターでマップをもらう。シャンデリアの下でタムラサトルさんのワニの立体が、ひたすら旋回していた。笑いの中に哀愁を感じる。(熱川だったらドンピシャだったなぁ)と思いながら私は海岸へ出かけてしまったが、先に、センター裏の旧松下邸を見ることをオススメする。

■17年間も放置されていたという空き家で、畳や戸を使った作品など、年月や人の気配を強く感じる作品が展開されている。温室だったという場所で、剣持和夫さんは、熱海の古い写真と現在の写真を並べて展示していた。現在の写真もいつかは退色していくのだという。能勢大助さんは1円玉を敷き詰めた上を踏みしめ、お金の音を聞くという作品。なかでも原口典之さんの、母屋の床に水を張ったインスタレーションには、胸を打たれた。外見は荒れ果てた部屋が、静けさと緊張感を伴って凛としていた。大森裕美子さんのガーゼに赤チンを染み込ませた作品は、傷を治すという意味があるのだろう。

■治療という意味では、ホテル解体跡地にあった、鈴木謙介さんの巨大ガーゼの作品も印象的だった。海岸沿いに立ち並ぶホテル群の裏に置き去りにされた場所。観光では、気づかないし、外から来る人には見せない裏側。

■その後で、海岸や椰子の並木道、商店街に点在する作品を見ながら、観光客やこの街に暮らす人々の姿を見る。代表の汝さんは「空白めいた場所は、アートにとっては新たなエネルギーを注入できる場。それが街のエネルギーにつながれば、なお良い」という。それにしては街の人に知られていないようだったが(宿泊先や店の人、道を尋ねた人々など)、「町おこしではない」「宣伝して知られるものではない」など、とかく起こりがちな意見の相違があるのでは? 旧松下邸を、アーティストが滞在制作できる場にしたいという夢は共通しているそう。駆け足だったが、温泉がてら出かけた価値はありました。

第一回熱海ビエンナーレ
1999年10月1日(金)〜11月14日(日)
旧松下邸〜熱海サンビーチ〜銀座商店街ほか
※ビエンナーレセンター(熱海市観光協会1Fギャラリー)にてマップを配付。
JR熱海駅より徒歩10分または熱海駅前2,3,6,7,8乗り場からバス「お宮の松」下車
(新幹線「こだま」東京駅〜熱海駅約50分)
tel.0557-85-4687
10:00〜17:00 無休
事務局代表 汝隆一tel.0557-67-3971

※11月14日(日)旧松下邸にてファイナルイベント
1:00PM〜スライドトーク「地域に広がる美術展」
3:00PM〜出品作家らによるシンポジウム


※11月28日(日)まで後藤美術館にて関連企画展を開催。
tel.047-344-8100(JR常磐線新松戸駅よりバス)
12:00PM〜5:00PM 月休 450円

word:白坂ゆり

art88_02タムラサトル「スピンクロコダイル」:ビエンナーレセンター(旧ニュー大和ホテル)

art88_03剣持和夫「グリーンハウス」温室だった場所に植物のデジタルプリント写真で緑を再生。:旧松下邸

art88_04能勢大助「1円玉を並べる」。:旧松下邸温室跡

art88_05原口典之「無題」。空き家の床に水を張っていた。最終的には油を浮かべるそう。:旧松下邸母屋跡

art88_06(手前)廃車を使った峰昌宏「untitled」、(左奥)コンクリートの建物にガーゼを巻いた鈴木謙介「飽和」、(右奥)黄色い旅館の家具を配置した川嵜豊史「Just a position」:ホテル解体跡地

1999-10-01 at 11:05 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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