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1999/07/20
Vol.12 小林孝亘(Takanobu Kobayashi)
バンコクへの思い
日常生活で目にする身の回りのものや風景を描いた絵画作品で知られる。86年、愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業。96年VOCA展奨励賞受賞。96-97年、文化庁芸術家在外研修員として1年間タイのバンコクに滞在する。国立シラパコーン大学の受け入れによるもので、97年に同大アートギャラリーで個展を行なっている。98年はダイムラーベンツ社主催の奨学金を得て、フランスで二か月半滞在制作した。しばらく日本に戻っていたが、今年初旬より、またタイのバンコクに拠点を移し、かの地で暮らしながら制作をつづけている。作品発表を始めたのは80年代末から。銀座のギャラリーQなどで個展開催の後、近年では西村画廊ほかで個展を行ない、そのときどきの経験を反映した作品をふしめふしめに発表している。95年の「水戸アニュアル'95絵画考」展ほか、グループ展参加も多い。今回も、7月11日からはじまっている栃木県立近代美術館での「メディテーション」展出品のため一時帰国した小林さんをつかまえての取材だった。来年2月17日からは国立国際美術館で個展が開催予定という、まさにひっぱりだこの人気アーティストだが、いつもながらに、静かで落ちついた佇まいが印象的な方である。彼が、なぜいまタイに暮らしつづけているのか、以前より気になっていたことを、なにより聞いてみたかった。
●96年からの留学から数えて、いまは二度目のタイでの滞在になりますが、現地ではどんな暮らしをされていらっしゃるんですか。
■今回は奨学金は受けていないんですけれど、私立のバンコク大学のアーティスト・イン・レジデンスとして滞在しています。もともとタイにはアーティストを招へいするシステムはないんですけど、3か月以上の長期滞在ビザを取るためには、なんらかのインヴィテーション・レターが必要なんです。自分から大学側に提案して、受け入れてもらいました。いちおう大学のプログラムなので、学内のアトリエで制作をして、生徒が来たら公開したり、月に一度レクチュアを行なったりといったことはします。ただ正直にいえば、自分の場所で好きなように描くということが一番自分のやりたいことなので、いまは制作は郊外にある大学でではなく、街中の自分のアトリエでしています。そのほうが集中して描けますから。来年の8月にバンコク大学のギャラリーで展覧会が決まっているので、来年の年明けからは大学でその制作をしようと思っています。
●そもそも、タイに行こうと思った最初のきっかけはなんだったのですか。
■単純に、住みたかったからです。じつはそれまでも、旅行で十回ぐらいタイに行っていて、ほかにもいろんな国に行ったにもかかわらず、住みたいのはやっぱりタイのバンコクだったんです。いつも短い滞在期間が終わると帰らなくちゃいけなくて、「つぎは住みたい」っていう気持ちがずっとあった。で、なにか方法がないかなと思って、文化庁の留学制度に応募したわけです。奨学金を得れば、そこに住めるし、絵も描けるから。
●なぜ、それほどまでにタイに惹かれていたんだと思いますか?
■それがなかなか、自分でもよくわからない。ただ自分と場所のつながりという点でぴったりくるのが、たまたまバンコクだった。まだ行ったことのない国に、そうした気持ちにさせてくれる場所があるのかもしれないけれど、いまは偶然にもバンコクを知ってしまったから、そこに住みたい、それだけなんです。
●バンコクというと、かなり都会ですよね。
■ある部分ではまったく東京と変わらないですよ。この先ますますそうなっていくだろうし。バブルの前ぐらいの時期に、東京を歩いているとどこでも工事をしていて、古いいい感じの一軒家が取り壊されていくのを見て悲しい気分になったけれど、そういう状態がいまのバンコクですね。なぜか自分には拒絶反応がなくて、違和感なくすっと入っていけるんです。絶対的に人を拒絶する精神的壁というのはあるんですけど、それは自分のなかにもあることですから。
●現地にとけ込みたいという気持ちはありますか?
■そうでもないです。かといって、いま日本に帰ってきて制作することもどうかなと思う。いまはバンコクへの思いのほうが強いです。
●なにが重要ですか。やはり作品をつくることが中心にあるんですよね。
■そうですね。いまは、描きたいなという気持ちになる場所と、住みたいと思うところが同じなんです。タイミングがあっているんだと思います。
自分の気持ちと身の回りのもの
●いつも作品には、空やお皿、ソファといった身近な事物が描かれていますが、たとえば描かれたお皿はとても単純化されていて、一見特定のものを描いたというふうに見えないのが面白いです。
■いつも日常の行動のなかで見たものを描いています。これはいいなあとうっとりするとき、絵を描きたいと思うんです。結局自分が表現したいのは、ものを見たときに感じた気持ちなんですね。それが言葉にできないから絵にしている。はっきりとイメージされない抽象的な気持ちが先にあって、あるものを見たときに、わだかまっていた気持ちがふと抜けていくことがあるんです。感覚的にハッと思う。だから、そのものを見たときに感じたなにかが絵を見たときにも感じられれば、それは完成したことになるんです。記憶されてしまったなにかが、印象によって喚起される、そのきっかけになる形さえあればいいから、それ以外のディテイルや説明は重要ではないですね。
●そういえば、以前のフランス滞在時のスナップを見ると、料理の写真がたくさんありましたが、作品になると、お皿しか描かれていないんですよね。
■フランスでは、2か月半ずっと絵を描くことを目的に滞在していたから、普段だと生活があって絵を描くところが、制作に付随して生活がある感じだった。なにもないから料理をつくることが息抜きになってて、どうせなら記録しておこうと。たとえばカメラのシャッターを開きっぱなしにして、毎日皿に盛って、食べてというのを撮りつづけると、結局写るのは皿だけになりますよね。だから皿の絵なんです。それに、皿にものを載せてしまうと、見た人にはそのものからのイメージしか浮かばないでしょう。なにもないお皿だったら、見る人の想像力を逆にかき立てることができますよね。
●もともとお皿の作品は、タイの屋台での食事がきっかけだったとか。
■それも生活に付随してるんですけど、タイでは人がみんな美味しそうに食べてるんですよ。日本では、そんなに人が美味しそうに食べているとは感じなかった。それで、ふとプラスティックのシンプルな皿をじっと見ていて、いいなあと思って。最初は食べカスにたかる蠅まで描こうかと思ったんだけど、スケッチするうちに、だんだん皿だけになった。同じモティーフでも、その場所でしか描けないものを作品にしたいと思っているから、いつもそのときどきの生活や気持ちが反映されていくんでしょうね。
潜水艦から抜け出して
●電子レンジを描いた作品がありましたね。あれはどんなことを感じて描いたものですか。
■電子レンジは、動いているときに中にオレンジ色の光が出て、チンて鳴るとフッと消える。光がついているとき、なぜかじっと見てるんですね。それに気がついて、描こうかなと。
●暗闇のなかの光だとか、木漏れ日だとか、光を描いた作品が意外に多いですね。気になっているテーマなのですか。
■光を意識した最初の絵は大学生の頃に描いていて、そのあとしばらくは描いていないんです。というのは、当時絵画に対してすごく堅苦しく考えていて、現象である光を取り込むと絵が弱くなるから、極力かたちだけを描いて物質的に強い絵にしようと思っていたんです。ちょうど潜水艦をモティーフにしていた頃です。でも、潜水艦を描きつづけるうちに、ふと光を感じるような絵ができて、あっと思ったんです。木漏れ日を描いた最初の絵ですが、それまで否定してきた光が入ることで、楽に絵を描くことができたし、可能性が見えてくる気がした。それからは、もっと意識的に光を入れようとしています。結局、光にはすぐ目がいってしまうし、生理的に求めてしまうものなんですね。
●初期の作品には、どうして潜水艦がよく登場したのですか。
■あれは完全に想像のイメージで、自分が潜水艦になっているんです。いま振り返って分析すると、自分が絶対に人に触れられたくないし、自分の世界に閉じこもっていたいと思う一方で、まわりの世界は見てみたいという気持ちがあったんです。卒業後社会に出たばかりの当時は、絵描きとしても認められないし、周囲は自分の敵だと思っていた。そういう状況のなかで浮かんだ潜水艦のイメージに、自分の気持ちがぴったりあったんでしょうね。卒業して五年ぐらいすると、ある程度周囲にも認められて、だんだんと自分を閉じこめなくてもよくなって、潜水艦から出てコミュニケーションがとれるようになりました。いまは、もっとたくさんの人に囲まれているし、また閉ざしたくなることもあるけれど、でも、もう潜水艦に入るつもりはない。いろいろなことに対処する術を少しは学んだし、むしろ潜水艦に入るかわりにバンコクへ行くのが、自分にとってはすごくいい状態なんです
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words:宮村周子
Tent 1996-97 キャンヴァスに油彩 90×90cm
Dish(with fork & spoon) 1997 キャンヴァスに油彩 40×60cm
Flowers/Yellow 1996 綿布に油彩 180×140cm
Dog 1998 綿布に油彩 165×135cm
Micro wave 1999 キャンヴァスに油彩 30×50cm
pillow 1995-96 綿布に油彩 135×165cm
River 1994 綿布に油彩 240×495cm
小林孝亘(Takanobu Kobayashi)
1960年 東京生まれ
1999-07-20 at 08:48 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink
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コメント
きのう、国立国際美術館(大阪)の常設コーナーでforestを見ました。あの光は、木漏れ日なのでしょうか?蛍なのでしょうか?あの緑の色調も大変気になりました。脱サラをして農業も目指しているせいでしょうか
田園風景、森をテーマにしたものが気になります。
HPを見て、現在バンコク在住と言うことを知りました。
私もタイに関わる仕事をしていたものですから、何か不思議な縁のようなものを感じメールした次第です。
今後も小林さんの作品を追いかけてみようと思います。
投稿情報: 五島 隆久 | 2006/02/10 10:26:16
コメントありがとうございます。
小林さんは、ここ数年眠る人と、浜辺に寝転がる人なんかも描いています。
木漏れ日の絵、いいですよね。あと、私はガスコンロの絵が好きです。
銀座の西村画廊の作家さんなので、また個展などあれば告知しますね。
http://www.nishimura-gallery.com/artists/kobayashi/kobayashi.html
ところで、農業をめざしているそうで、いいですね。ぜひがんばってください!
作家をやりながら(ここ数年ちょっと作品見ないけど)群馬で農業をしている人もいますよ。がんばってなんて軽々しい言い方ですけど、日本は食糧自給率が低過ぎるので、すごく大事な仕事と思いますし、尊敬します。
あと、農耕といえば、中川佳宣さんもいます。
http://www.art-yuran.jp/2000/05/_farmers_pot.html
http://www.taguchifineart.com/installations/YNinst3.html
投稿情報: 白 | 2006/02/12 0:56:55