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1999/06/29

クボタタケオ展「写・心・画 MIND FOCUS」

「心がふわっと浮き上がる写真」


art74_001しわもあるが、まだぷりっとした石鹸。下に映った姿は、蝋が溶けたみたい。あるいは海?


■「なんでもないものを写しているけど、なんだかいい写真」というものがある。その場の空気感を想像させられたり、過去の記憶を呼び戻されたり、たった一枚の写真にふわっとキモチを持って行かれるような。今回のクボタタケオさんの写真は、なんてことはない「石鹸」だ。風呂場にあった、使いかけの石鹸をふと見た瞬間に惹かれ、シャッターを押したのだそうだ。ひび割れた筋、消えかかった「KAO」の文字……。展示された数枚の石鹸写真は、どれも同じ時刻、同じ自然光のもとにスナップショット的に写されたというが、つるんとしたみずみずしいものもあれば、やわらかな繭のような神秘的なものもあり、触覚も香りも思い出させる。なんだか生きている。

■石鹸には寿命があり、それは人の人生にも似ている。組写真は、モノに宿る命を、風景のイメージにダブらせたものだ。満開のアカシアの木、朽ちかけた花には色っぽさがあり、枯れ野の中にも緑=新しい生命が息吹いている。また、GIジョーの筋肉の割れ目や、少し空気が抜けたようなビニールのカニのおもちゃの写真も挟まれていて、茶目っ気もある。風景は近所の多摩川、おもちゃも誰でも目にしたことのあるチープなものだ。日常の中でそれぞれ別々に存在しているものが、クボタさんの心の眼を通してつながっている。

■最近、「日常見逃しているさりげない美しさに気づく」「視点を変えて、またはその奧にあるものをよく見る」というテーマの作品があふれている。でも、なんでもないものこそ、作家自身が相当鍛えていなければできないことのはずだ。クボタさんは、日常出合うモノとのかかわりの中で起こる緊張、記憶の呼び戻し、心を喚起させられる“予兆”のような精神的なやりとりを真剣勝負で表現している。写真家ではなくホントは画家なのだが、ここ数年のほとんどは、絵筆の替わりに「道具」としてカメラを使って絵を描いている。「こんなただの石鹸が美術なの?」という人も当然いるだろう。でも、その一方で、美術の見方なんて言わなくても、「なんだかいい」という素直な共感も呼べる作品だと思う。

クボタタケオ展「写・心・画 MIND FOCUS」
1999年6月29日(火)〜7月25日(日)
Gallery 工房“親”(ちか)
東京都渋谷区恵比寿2-21-3
(地下鉄広尾駅より徒歩6分)
tel.03-3449-9271
12:00〜19:00
(最終日は18:00まで)月休

words;白坂ゆり

art74_002自然と石鹸のイメージを重ね合わせている。


art74_003枯れ野の中にも緑が…。


art74_004空間として見ても、キマっている。


art74_005タテに見ると、裾のすぼんだペチコートみたい。

1999-06-29 at 09:03 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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