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2008/05/19
ノスタルジーと資本主義——梅丁衍個展「台湾サイダー」
台湾から、岩切みおさんのレポートです。
台湾では近年、台湾独自の歴史を見直そうという意識が浸透してきた。そのためかレトロブームの気運が高まり、ネットオークションでも、日本統治時代から国民党時代初期にかけての写真が、高値で取引されるようになった。4月に行われた梅丁衍(メイ・ディンイェン)個展で発表された一連の作品は、作家が何年もかけて集めて来たそれらの古写真に、デジタル加工を加えたものだ。 手のひらに載る大きさの写真を、1〜2メートルに拡大し、拡大に耐えるように細部を補足し、背景やオブジェを入れ替え、彩色を加えた。
上)梅丁衍個展「台湾サイダー」展示風景。右が作品「黄土水を探して」。Photo courtesy of IT Park Gallery.
写真館の書き割りの前で、良家の子息らしき姉弟が、晴れ着に身を包み、こちらに穏やかな視線を向ける作品《アルバムかがり火その一》や、グレーの薄暗い光に包まれた学生たちの群像の後ろにそびえる富士山の山頂を隠すように掛けられた学生帽が、意味深にくっきり浮かび上がる作品《雪花の帽子のつばの魂》。和服を着た人物が混じっているせいもあって、言われなければ彼らが台湾人であるとはわからない。一方、小学校の集合写真をベースに制作された作品《黄土水を探して》では、生い茂る芭蕉を背景に、リラックスした日本人教師や台湾犬が周到に配置され、亜熱帯の台湾らしい雰囲気が作り出されている。ほかに、国民党時代初期の作品も発表されたが、共通するのは、ブリキのおもちゃや、頬にさされた紅色などによって、昔日の商業ポスターのような大衆性が演出されていることである。
右)作品「アルバムかがり火その一」(2008) photo courtesy of IT Park Gallery.
この展覧会で梅が追求しようとしたこと。それは、ノスタルジーがどうやって生成するのか、という問題、そして、現代という資本主義社会においては、そういった感情さえも、すべてが消費行為として表現される、という2点にあるように思われる。
台湾独自の歴史を見直そうという意識、と冒頭に書いたが、それを促進したのはここ8年間の政治状況であったと言える。民進党施政下における、いわゆる台湾人意識の台頭だが、梅自身は、戦後生まれの外省人であり、上海からの移民の両親のもとに1954年に台北で生まれている。国民党初期のこともそれほど憶えているわけではないが、彼は、日本時代を含め、これらの時代の写真やオブジェに強いノスタルジーを感じるという。それは、1989年に初めて、長く恋い焦がれた大陸へ旅行した時に抱いた、失望に似た疎外感に比べると、はるかに身近な、懐旧の思いである。
「過去というものは、想像力の働きによって、自分で選ぶものだ。想像力によって、自分と世界はいかようにも関わることが出来る」。と梅は言う。コラージュや彩色によってイメージを創出するプロセスは、そのまま、想像力によって自らの歴史観を見つめるプロセスと重なる。
さらに、これらの作品には、現代台湾が直面する、極めて資本主義的な要素も同居している。古い時代へのノスタルジー、アイデンティティの確認といった精神的作業にさえも、ネットオークションで写真をコレクションするという消費活動が深く関わってくるという事実。作品のあちこちに配置されたブリキのおもちゃなどのオブジェは、ノスタルジーを売り買いする現代の風潮を象徴しており、重くなりがちな歴史というテーマに、瞬時にして大衆性を与えている。
「台湾ソーダ」と名付けられた展覧会。戦後の台湾人の喉を潤した、アメリカ生まれのアップルソーダの味もまた、梅にとっては子ども時代の記憶と重なる懐かしいものである。この展覧会では、ノスタルジーと資本主義を軸に、日本統治時代、国民党時代、そして、アメリカ軍駐留と、三つの国が関わる複雑な台湾の近現代社会史が、絡み合う糸のように織り込まれているのである。
上)展示風景。右は作品「熱帯の英雄たち」(2008)、左が作品「雪花の帽子のつばの魂」(2008) photo courtesy of IT Park Gallery.
■梅丁衍個展「台湾サイダー」
05 Apr〜03 May, 2008
伊通公園
2008-05-19 at 06:55 午後 in ワールド・レポート | Permalink