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2008/05/10
スティーヴ・マックィーン《無表情》
現在、森美術館では、これまでのターナー賞全受賞者の作品を展示する企画が開催されている。そのふれこみにあるように、ターナー賞全受賞者の作品が会する初の企画であるということの意義は少なからずあるとしても、これまで名前は知られていても実際に見る機会の少なかった作家の作品を実見できるという点にこそ、この企画の利点があるだろう。たとえば、スティーヴ・マックィーンの《無表情(Deadpan)》もそのような作品のひとつかもしれない。
上)スティーヴ・マックィーン 《無表情》 1997年
音なしの16ミリ白黒フィルム、DVDに変換
Courtesy : Thomas Dane Gallery, London + Marian Goodman Gallery, New York, Paris
1999年の受賞作品となったマックィーンの代表作であるこの映像作品は、そもそもの内容のセンセーショナルさからして観客の凝視を誘うものであり、積極的に「見られる」ことを構造化しつつ展開してゆくものである。限りなく明快で簡潔な透明性を備えた一連の展開は、さまざまな角度からのショットを導入することにより退屈さや冗長さから遠ざかり、機械的なミニマリズムと映像的な反復を共存させることに成功しているのだ。ここでは、観客の注意の持続こそが、マックィーンの作品に通底する形式主義を徹底させるといってもよいだろう。あくまで、彼の興味はその映像的な内容だけではなく、観客の注意の持続と、同じシークエンスの反復という映像的な形式とがいかにして積極的に結びつくかということなのである。
しかしながら、《無表情》と題されたこの作品は、その形式的な前提を裏切り、むしろ作家の身体を賭金とした生と死のドラマをヒロイックに演じてみせるという身ぶりによってその評価を確実にしたように思われる。バスター・キートンの『キートンの蒸気船』の一場面を直接の源泉としているこの映像は、丸太でつくられた家屋を背景に、白いシャツにジーンズを身に付け、ブーツを履いたマックィーン自身が直立している場面から展開される。そして、背景となった家屋の前面の壁がゆっくりと、重量感たっぷりに作家めがけて倒れてくるのだが、その瞬間、ほぼ正方形に開けられた窓枠が作家の身体をそのまま通過することによって、壁面が地面に衝突した衝撃による瞬間舞い上がる粉塵にまみれながらも作家自身は微動だにせず、そのままの場所に立ち続けるのだ。この一回的なシークエンスが、モノクロの画面であらゆる角度から映写され、何度も反復される。
「無表情」というタイトルは、このときのマックィーン自身の表情を指し示すものである。キートンの映画であればコミカルかつ軽やかに演じられたこの一場面も、スタジオセットではなく、本物(と同様)の建造物が用いられることによって、迫真的な危機を通過した作家の繰り返される「無表情」は、物質的な脅威に打ち勝つ主体を現前させ、きわめてリリカルな表情をまとう装置となる。実際に彼は、壁面が身体を通過するその一瞬間だけ私たちの前から消え去り直後に再びすがたを見せることによって、擬似的な死と再生のドラマを再演してみせるのである。
ところで、「無表情」な顔はキートン自身の代名詞でもあった。しかし、マックィーンが再演してみせた「無表情」が、キートンのそれとは全く異なるコンテクストに置かれているために一種の異化効果をもっていることは言うまでもない。そのため、キートンの「無表情」が場面の転換、あるいは待ち構えるさらなる出来事にドライブしてゆくための積極的な重心を担っていたとすれば、マックィーンのそれは、ただ反復されることによって無気味さを増幅させるだろう。このとき、両者は全く異なるベクトルに配置されている。
この異化効果はもちろん、書き割りではない木材の質量がもたらすリアリティと、それがもたらす身体的な危機に由来するものであり、物語的な連続性から外れたリアルな建造物の壁面があっさりと倒れるという光景が引き起こす非現実感にこそあるだろう。その非現実性は、キートンの映画にはなかった「死」を前景化し、リアルに拡大することによっていっそうシュールなものとなるのである(もちろん、嵐のなかで次々と家屋が吹き飛んでゆくなかで行われるキートンの正確無比なスタントも、同様に危険なものなのだが)。
ミッキー・マウスが登場する最初期の映画であり、世界初のトーキーアニメーションである『蒸気船ウィリー』は、『キートンの蒸気船』のパロディであると言われている。ミッキーがいかなる点でキートンのパロディとなり得たかは、その物語的な内実よりも、通常の意味での時間から解放された初期ミッキーが、脈絡なく生起する幾多の不可思議な出来事を通過しながらも、決して深刻な脅威にさらされることなく、その生が無限に引き延ばされ、夢のように再生し続けられるという部分に集約されるだろう。
「死」を予言的に孕みつつもそれを決して経験しないアメリカ的な冒険物語。その意味で、1942年を境にアメリカに流入したシュルレアリスムの超越性は、ポップカルチャーにおけるアメリカ的な生と巧妙に適応するものだったのかもしれない。たとえば、ダリはディズニーのアニメーション制作に参加し、そしてアメリカ時代にオートマティスムの巨大な画面を構築したマッタの作品は、批評家のグリンバーグにコミック的である、つまりキッチュであるとして斥けられもしたのだった。
ここでマッタの名前をあげたのは、彼の双子の息子のひとりであるゴードン・マッタ=クラークの仕事が、映画や日常的なイメージの中に潜む非現実性を、行為の介入によってリアルに拡大してみせるという点で、シュルレアリスムの影を残存させると同時に、ある2点において、マックィーンの作品に予言的に働きかけるものであるからだ。
たとえば、マックィーンの映像中で家屋の一部が突然剥がされる奇妙な光景は、マッタ=クラークの、ビンゴゲームで使われる紙のように、建築の一部が切り取られ、家の内部が正面から透けて見える《ビンゴ》(1974)がもたらすそれを思わせないだろうか。実際マッタ=クラークは、ファザードに9つの番号をふり分割したグリッドが切り取られてゆく様を、段階を追って記録することでビンゴゲームになぞらえてみせたのだった。彼はこのように、映画のなかではあり得たかもしれないと思わせる倒錯的な光景を現実的な状況に置換してゆく。ゆえにそれは古典的なコメディ映画が実現してきたアメリカ的な虚構性をその内に浸透させているのである。
マックィーンが引用したキートンと並び、三大喜劇王の残りの二人であるハロルド・ロイドとチャールズ・チャップリンに関しては、すでにマッタ=クラークの先例がある。たとえば彼は《ビンゴ》が製作されたのと同年のフィルム(『クロックタワー』)で、ロイドの『Safety Last!』とチャップリンの『A Night Out』のシーンをそれぞれ引用している。マッタ=クラークはロイドのフィルムにあった、男が壁にスパイダーマンのようによじ上る部分を、時計台によじ上るシーンとして復活させ、またチャップリンが噴水の水で歯を磨く場面を時計台の放水によって模倣してみせる。そこで浮き彫りになるのは、映画セットの中ではコメディとして実現されてしまったことと、公的な場で法的な規制と現実的な質量の重みに耐えながら実現することとの、現実性のレベルの違いである。したがって誇大妄想的な虚構性が、現実的な場に侵入してくることこそが賭金となる彼の建築の仕事が体現する奇妙な楽観性と、シュルレアリスティックな非現実性は、ある意味でアメリカ映画のそれを直接の源流とする(実際、マッタ=クラークは《スプリッティング》(1974)を制作中、古典的な無声コメディ映画を、——おそらくキートンのそのフィルムを——思い出していたという)。そしてマックィーンは1997年のこのフィルムで、マッタ=クラークがやりのこしたキートンを、きわめてマッタ=クラーク的な装置によって上演してみせたのである。
2008年4月25日〜7月13日
会期中無休
words:沢山遼
2008-05-10 at 10:36 午前 | Permalink