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2008/01/29
渡辺泰子 Chorus
現在、ギャラリーSIDE2で開催されている渡辺泰子の個展では、新作の映像2点が出品されている。そのなかのひとつである《遠くへ[no.006]space》をみていたとき、筆者の脳裏をよぎったのは、エストニアの生物学者・ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが記述するある一節だった。
遠くへ[no.006]space 2008 DVD
ユクスキュルは、子どもが視覚的に経験する世界(視空間)は大人のそれとは決定的に異なった資質を持っていると言う。そんな子どもは「距離」という記号を学習し、それを奥へと展開してゆくことを学習することで大人と同じような視空間を持つにいたる。それ以前の子どもの眼には、あらゆる事物はゆるやかな球体に内接して見える。そこでユクスキュルが報告するのは、ヘルムホルツが体験したという奇妙な現象だった。
幼いヘルムホルツは、母親と教会のそばを通りかかったとき、塔のうえの数人の労働者の姿に気が付いたという。しかし幼児にとってその人影は遠くに見える労働者の姿ではなかった。彼はそれを指し、母親にあの人形をとって欲しいとせがんだのである。彼にとって、そのシルエットは実在の人物の形象ではなく、単なる人形のように小さくなった小人でしかなかったからだった。ここからユクスキュルは一つの仮定を導き出す。子供は遠くにあるものが、遠くにあるために小さくなっているという当然の事柄を知らない。すなわち「距離」の認識は学習によって徐々に得られるものなのである。それ以前の幼児にとって、したがって塔のうえの人影は、手で触れ得るように、すぐそばに存在するものだった。
幼年期を回想して、ベンヤミンもまた幼いときに認めた「塔の人影」について語っていた。
多くの日、塔のうえには人影があった。彼らは、空を背景にして、さながら切り張り用絵本の小さな人形のように、黒く縁取られて見えた。私が鋏や糊壷を手に取ったのは、切り張り細工を仕上げたあとで、あの塔上の人影に似た人形たちを、表玄関や壁の窪みや窓のしたの壁わきに配置するためではなかったろうか?そのような至福の勝手気ままさから生み出された被造物——塔のうえにいる彼らは、天から降る光を浴びて、まさにそのような被造物にほかならなかった。彼らのまわりには永遠の日曜日があった。それとも、それは永遠のセダンの日だったのだろうか?(「一九00年頃のベルリンの幼年時代」所収「凱旋記念塔」)
幼いベンヤミンは塔の人影を確認したあと、そのシルエットを切り紙細工のように、ハサミを使って切り取らねばならない、という切迫した気分を感じている。塔のうえの人影を、手で触れ得るものとして認めた幼いヘルムホルツのように、眼で見たものは、即座に手の運動に媒介されるのである。したがって、少年のヴァルターをハサミへと駆り立てたものは、ユクスキュルの言う子どもの視空間だっただろう。
渡辺泰子の前作にも、これと同じような出来事が起こっていたのかもしれない。そこで、彼女はフェルトをハサミで切り取り、山の稜線や風景のシルエットをつけた。切り紙のように切り取られたフェルトは半立体的に展開させられ、レリーフともソフト・スカルプチャーともつかない、浮遊感のある立体造形になったのだった。それらは実際に壁に直接ピン留めされることで空間に定着し、それぞれが独立した視空間をなすような構造を伴う。
フェルトにハサミを入れる彼女にもまた、ベンヤミンが経験したような眼と手の無媒介的な交換があったのだと推測することもできる。それは、眼で見たものを即座に手で実現してしまわざるを得ないようなひとつの認識である。その意味で、おそらく渡辺は子どもの視覚、子どもの視空間を持ち得た希有な作家なのだろう。たとえば、そんな視覚の持ち主が水平線を見たとき、海と空は直接物理的にくっついて見えるのだろうし、海はあんなに高いところにあるのに、なせ水はこぼれてこないのだろうと問うことだろう。距離や地平線といった事柄にたいする研ぎすまされた感覚の持ち主である渡辺もまた、そのように近くと遠くが誘導しあう視覚で風景をまなざす。
とすれば、一連のフェルトの作品から今回の映像作品にいたる背景には、明確なひとつの流れが認められるのかもしれない。いわば風景に手で触れることの代償としてシルエットをつくりだしていた彼女は、新作の映像(《遠くへ[no.006]space》)では実際に風景に接触してしまったからである。
その映像作品は、背景に散りばめられた星々や銀河が配置され、前景に山の稜線を切り取った色紙や、虹のようなシルエットに切り取られた黄色い紙が層状に幾重にも配置されている。それを作家自身の指が一枚一枚実際にめくっていく。めくる行為によって、こすられる紙の音が物質的なざわめきを喚起しながら、風景となる色紙は新たに更新され、同時に画面の奥へと視野がすいこまれてゆくように感じる。そしてその一連の反復が永遠に続くかと思われた瞬間、すべての色紙がめくられることで、銀河だけの空間が現れ、その虚空に身体ごと一気に放り込まれるようにして映像は終わる。
風景を指でめくってしまうという、このあきれるほどに明け透けで底抜けに明るい行為の明証性。この作品に強度を与えているのは、このあっけらかんとした論理的な飛躍である。このような作品をつくりだしてしまう作家は、優れた実践家である以前に、優れた認識者なのだろう。
「スケール」という言葉は、そこにひとつの指針を与えたようである。映像作品2点のほかにも、一枚のドローイングが展示され、それは作品を制作するにあたっての見取り図ともいえるものなのだが、そのドローイングを前にして作家は筆者に「スケールの概念をもういちど整理し直す必要があった」という意味のことを語った。実際に、その紙のうえには、「スケール」という言葉が幾度となく書き込まれている。
ただし、「スケール」という概念の重視は渡辺に始まったことではない。たとえば、「スケール」がさかんに云々されるようになったのは戦後のアメリカでのことである。それはマレーヴィチやモンドリアンの制作によって絵画が死滅しなかったひとつの要因であった。いわばポロックやニューマン、フランク・ステラからメル・ボックナーまで、戦後アメリカ美術は(おそらく幾分かはマティスを経由した)「スケール」という概念を後ろ楯にすることで生き延びたといえるかもしれない。
「サイズ」と「スケール」の混同を排除すること。そして客体的に与えられた実像としての「サイズ」からエフェメラルな虚像としての「スケール」へと転換すること。つまり「スケール」とは現象学的な観測を伴うものであり、全方位的な身体感覚に内接するものである。具体的な状況では「スケール」とはしたがって複数の物との関係性において示されるものなのだ。
おそらくは渡辺の「スケール」感もこのような認識の延長線上にあるのではないだろうか。けれどもすでに見たように渡辺にとって「スケール」とは身体に直接媒介されるものなのである。「めくる」行為によって発生するイリュージョニズムにおいて、イメージと物質との落差はあくまで露出し、「距離」は喪失された次の瞬間、回復される。その意味で彼女にとって、「距離」とは常に更新され、不断に刷新され続けるものであり、身体的な運動され動員されながら確かめられるものである。ゆえにこそ、渡辺にとって「スケール」とはいわば名詞ではなく動詞である。それが渡辺泰子の作品に、ひとつの新しさの明確な輪郭を与えているのだろう。
渡辺泰子
Chorus
GALLERY SIDE2
Tel: 03-6229-3669
2008年1月18日(金)〜2月15日(金)
◎2日まで映像2点を展示。5日より展示構成替え
Words:沢山遼
2008-01-29 at 05:40 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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コメント
仕事の合間に見入ってしまいました。
いつも勉強になっています、ありがとうございます。
投稿情報: うつ病 | 2009/03/10 11:11:57