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2007/09/21
鈴木理策:熊野、雪、桜
サント=ヴィクトワール山がセザンヌによって描かれたのは、彼の「構成主義時代」と呼ばれる時期以後のことである。そして、サント=ヴィクトワールの登場と時を同
じくして、セザンヌの画面には「構成主義的タッチ」と呼ばれる、画面全体を振動させるように降り注ぐ筆触の斑点が現れている。この時期、セザンヌは画の全体を同時進行で描き、この細かいタッチの集積によって画面を満たしていったのだった。
鈴木理策 〈海と山のあいだ〉2005年 東京都写真美術館蔵
©Suzuki Risaku
2004年に、鈴木理策はこの山を被写体とした。この作品を成功に導いた理由のひとつは、セザンヌが自身の画面で確かに捉えようとしたような、光によって呼吸する自然の粒子がつぶさに観察されていたからだが、写真家がサント=ヴィクトワールを撮るという構図のなかで思い起こされるのは、セザンヌの、全身を感光板のようにして描くという言葉だろう。つまり鈴木はカメラという機材を用いることによって、その感光板を、セザンヌにならい文字通り再現しようとしていたのかもしれない。たとえば彼はいくつかのインタヴューのなかで、いかにして意図的なフレーミングや構図、対象の選択を避けるかという問題について繰り返し触れている。それは風景を目の前にしたとき、何に焦点を絞り、切り取るかという主体的な選択を避けることであり、逆にすべての事象をあまねく感受するような姿勢をいかにして形成するかということでもあった。
鈴木理策 〈唯一の時間〉2004年
©Suzuki Risaku Collection of Artist
「サント=ヴィクトワール」の翌年、故郷熊野新宮で撮られ、今回の東京都写真美術館での個展でも出品されている「海と山のあいだ」(2005)でも、このような感受性は十分に発揮されている。そこでは、もはや何を見、何を見ずにおくかというような選択の余地は、観者にも、そして当の写真家にもおそらくは与えられていない。そこにあるのは、きわめて複雑に入り組んだ映像である。素人目にはどのようにしてこのように複雑怪奇なピントの設定が可能になるのか全くわからない。すべての対象は粒子的に解体され、物体を覆う輪郭線はことごとく溶解し周囲の領域と同化して、画面の前後を行き来するのである。したがって近くにあるものと遠くにあるものとの距離感さえそこでは曖昧になる。(何が近くにあり、何が遠くにあるのか分からない)。
このような作用こそ、すぐれてセザンヌ的な主題であったはずなのだ。たとえばセザンヌがサント=ヴィクトワール山を描きながら絶えず感じていたのは、遠くにあるものが、必ずしも遠くに見えるとは限らないということである。遠くに見えるものもそこに注意が傾けば周囲のものとの距離感は喪失され、あたかも目の前に存在しているかのようにみえる。セザンヌの絵に漲っていたのはこのような作用ではなかっただろうか。鈴木の写真が、熊野のうっそうとした風景を捉えながら、織り成されるように形成された無数の焦点と、大気とともに揺れ動く葉などの形象を定着させることで、そこに距離の喪失をもたらすとき、その風景に巻き込まれ、あたかもその内側から写真を観賞しているような不可思議な感覚に捕われるのもそのせいかもしれない。
鈴木理策 〈桜〉2007年
©Suzuki Risaku Collection of Artist
だが、熊野と併せて今回出品されている吉野桜を主題とした「桜」(2002)そして雪を被写体とした「White」(2007)を語るとき、注意しなければならないのは、熊野、雪、桜といった日本的な情緒を連想させる主題群から、一連の写真をそのような文脈から読み取ってしまうことである。しかしそれらはけっして日本的なものの枠組みによって撮られたわけではない。むしろセザンヌ的なタッチを光の粒子として組み替えた「サント=ヴィクトワール」からの連続性を認めるべきだろう。いいかえれば、写真家はむしろこの十年来というものずっと「粒子的なもの」、あるいは「分子的なもの」に突き動かされてきたのだといっていい。たとえば新宮、神倉山のお灯祭りに取材した「Kumano」(1997)でも、写真家の眼は民俗学的な要素としての祭りの形式ではなく、絶えず火の粉を放出し上昇しようとする炎にこそ向けられている。だからこそこの作家にとって、暗闇に舞う火の粉と、「White」の冒頭を飾る闇に浮かぶ雪の結晶とを撮ることは等価なのだ。付け加えるべきは、このように抽象的な主題に憑かれた作家を同時代に持ちうること自体が、今日希有な出来事であるということだろう。
2007年9月1日(土)〜10月21日(日)
東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
10:00〜18:00(木金は〜20:00)月(祝なら火)休
Tel.03-3280-0099
words:沢山遼
2007-09-21 at 04:57 午後 in 展覧会レポート | Permalink
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