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2007/08/15

今井俊介 empty eyes

Slider_2

個展タイトルとしても現れている「空虚な器としての眼」という主題は、今井の制作に一貫したものである。

それは我々の視覚というものが徹底して受動的な存在であり、それゆえにあらゆる情報をたやすく受け入れてしまう散漫で不確かな存在であるという自覚に基づいている。いいかえれば、視線の散漫な揺らぎにあっては絵画を規定する物理的な制約などは簡単に超えられてしまうのだ。たとえば、そうしたうつろう視線に楔を打ち込むために額縁は必要とされたのである。額縁は絵画に一定の秩序を与えるためというよりはむしろ、視覚こそが画面をこえてしまうという視覚の暴力性にたいする畏怖としてある。

slider 92 x 120 cm acrylic on canvas 2007

視覚が受動的なものであるがゆえに散漫なものであり、空間を暴力的に拡散してゆくものであるという認識こそ、社会学者ジンメルが額縁を求めた契機であり、また建築家アドルフ・ロースが装飾を厳しく断罪した由縁でもある。たとえばロースの〈ラウムプラン〉は空間の抽象的な単一性に基づくものである。だが装飾を感受する視線は空間の規定された境界を超えて拡張するだろう。計画(プラン)とは線を引くことであり、それは額縁同様に決して超えられてはならない対象だった。

けれども、今井はジンメルやロースとは逆に、むしろ視覚の暴力的な拡張性を自らに差し向けている。たとえば、今回の個展でも絵画とともにウォールペインティングが制作されたが、絵画同様、それは平面的で装飾的なパターンから成っている。それは掛けられた絵画が壁面に浸透してゆくことを咎めないばかりか、むしろそれを促進するのである。ニュートラルな個展会場をすでに知っている者からすれば、あきらかに壁画によって空間が拡張させられていることが見て取れるだろう。ひるがえってロースが恐れていたのは装飾のこのような作用だったのである。

壁面が植物のパターンから成るように、今井の絵画は通常、ポルノグラフィと花という限定された二つの図像が組み合わされることで成立しており、それらの形象を抽象的な線に解体し連鎖させることで複雑な平面性が構築されている。具象的にも抽象的にもみえるその模様をなぞるように視線が這っていくならば、次第に自らの視線の運動を見るという自同律的な反復に陥っているということが明らかになるだろう。もちろん、背後に彼自身の手によるウォールペインティングが控えている以上、それは一枚の絵を超えて経験されるのだ。

Floweret_view

                           floweret 65 x 65 cm(center) 

見ることを見る——おそらくこんなシニカルな言いかたができるのも、今井の絵画の、見ることにたいする冷めた姿勢がそのような触媒性をもつからであり、たとえばポルノグラフィや花という対象が徹底的に「見られる」対象であったことを思い起こしてみればよい。ポルノグラフィや花は、一方的な視線にさらされるという暴力を感じさせるだけではなく、視線の一方向性によって、対象とそれをまなざす者との距離を、つまり「見ること」それ自体の距離を可視化させる。今井はこの距離をこそ描こうとするのである。その意味で、彼はやはり徹底したリアリストなのだといっていい。リアリズムとは対象にたいする関心を一旦切断することでもたらされる視線そのものを描き出す作業であったからである。それは彼の色彩についても言える。それはキッチュというよりはむしろエキゾチックですらあり、そこにはいかなる情緒も介入してはいない。

ところで、今井の絵のポルノグラフィの図像はすべてインターネットから借用されたものである。現代において最も洗練された情報技術であるインターネットの世界が、最も卑俗な性的欲望と結びつく場であったことは今さら強調するまでもないが、今井の作品でこのことが重要であるのは、ネットと呼ばれるその世界が、あらゆるものを等価にし、結合させる場であったからに他ならない。つまりそれは彼の絵に似て、装飾的なのである。装飾では全ての部分が等しく均等に強調されるのであり、どのような形象であれ平面性に解体されていくからである。つまりそれはいっさいの差異が等質性に還元されてゆく世界なのだ。View2_2

けれどもそれは彼がリアリストであるということと矛盾するものではない。つまり彼は装飾的な絵を描くのではないし、ましてやそれが彼の主題なのでもない。彼の絵はむしろ我々が「装飾的」な世界にいることを示すのである。だが、その一方でゲシュタルトが複雑に絡まりあった彼の絵をみることには時間がかかるのだ。それは情報化社会に顕著な、一挙に全てのものが可視化される視覚に対抗するかのように、我々のアナログな運動性に訴えかけてくる。

今井俊介 empty eyes

84(土)-922日(土)(812-22日は夏季休廊) 

ZENSHI

東京都江東区清澄1-3-2 6

12:00-9:00  日月祝休

Tel:03-3630-4709

Words:沢山遼

         

2007-08-15 at 09:04 午前 in 展覧会レポート | Permalink

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