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2007/07/16
岡崎乾二郎【ZERO THUMBNAIL】
吉祥寺のギャラリーでの0号サイズでの個展
吉祥寺のギャラリーA-thingsで8月8日まで「ZERO THUMBNAIL」と題された岡崎乾二郎の0号キャンバスとサムホールサイズでの個展が開かれている。
今回、岡崎は自らの制作に二重の規定をもって臨んだといえるだろう。一つ目はもちろんのこと0号というサイズにあるが、刷毛やナイフでつくられたと思しき筆触のスケールもまた通常より何段階か落とされ、それらは全てほぼ均等な大きさで扱われている。つまりその規定とは、画面の外(0号)と内(個々の筆触)にそれぞれを拘束するサイズ/フレームの二重性である。
端的にこのような図式を描けば、たとえばマイケル・フリードが、フランク・ステラやケネス・ノーランドが直面しつつある問題として取り上げた「ディピクテッドシェイプ」と「リテラルシェイプ」との背反を想起させるかもしれない。フリードはカンバス内に描かれた形と絵の物理的な支持体の形態とが、ステラなどの画家の手によってかつてないほど緊張した関係にありつつあること、そしてそれゆえにだが、そもそもカンバスの外側と内側とが全く異なる記述対象(ロジカルタイプ)に所属しうるものであり、いまやバラバラに解体されつつあることを、ひとつの危機として報告したのだった。ステラからのその一つの解答が、シェイプドカンバスと呼ばれるものであったことはよく知られている。だが、彼らの絵がそれほど巨大なわけではない、むしろヒューマンスケールのキャンバスを支持体として描かれていたことに注意すべきだろう。つまり、分裂していると感じられたのは逆に、それを視ている当の我々の身体の方だったのである。それゆえ岡崎の0号は、そのような絵画の身体性—物質性に対する鮮烈な批判なのだ。
ところで今回の作品で印象的だったものの一つに、透明なアクリルと不透明なアクリルとの非常にバランスの良い併用があった。両者は互いを干渉することなく、また図と地の関係として一方を貶めることなく、対当に互いを反復するかのように置かれ、この両者は決定的に不可分であり、あたかもそれぞれが力学的に対応しているかのように感じられもする。(逆に単一的な要素だけによって画面が連続していく場合にも、線描的な有機体に還元されてしまうことがないように充分に配慮された画面は、小さな表面に力学的な緊張感をもたらしている。)そして絵の具がつくりだすこの関係性によって、様々な明度と透明感をもった絵の具のそれぞれにあらかじめ与えられている重さや軽さ、強さや柔らかさといった感覚は、吟味され直されるのだろう。そしてそれが0号であることを少しも感じさせずあらゆる方向に伸縮するメディウムは、キャンバス全体を包みこむように優しく滑らかに、そして暴力的に画面を浸食し拡げてゆくだろう。
同時に、そのような画面の絵画的な拡がりに対極させるかのように、キャンバス自体の構造は前面にせり出すように張られた太めの木枠によって、あくまで彫刻的につくられている。「ZERO THUMBNAIL」と名付けられた展示タイトルから類推すれば、キャンバスはまさに足の親指のように肥大化しているといえるのかもしれない。しかしさしあたりそれは足の親指が他の指の大きさと比較されることによって異様に思えるのと同様の認識によってもたらされる異様さである。相対的にみれば親指の大さなどはむしろ慎ましいものであるはずなのだ。(THUMBNAILには「簡潔な」という形容詞形がある。)しかしむしろそのことで足の親指は、事物の異様さが相対的な大きさなどに基づくものではないことを教えてくれているのではないか。であるからこそ、この作品群がかたちづくるのは、足の親指と同様の、ささやかでありふれたものの非日常化なのだ。
図2.併設のヴィンテージの布を扱うショップ(A-materials)内にも作品が置かれている
このように小さく過剰なものとして一連の絵画を描くなら、そのことはまた、おそらくは岡崎が敬愛するパウル・クレーや熊谷守一を思い起こさせるものでもあるだろう。けれども作品がクレーや熊谷を想起させるのは、ただその小ささだけによってではなかった(小さいだけなら岡崎の0号はクレーや熊谷よりもっと小さい)。そうではなく、むしろ絵をみる過程において、その絵のひとつひとつが、その都度我々に新たな認識と発見を指し示してくれるということにおいてそれらはよく似ているのである。またまさにそのことによって、クレーや熊谷の絵には確かに自律性と呼ばれるべきものが宿っていたのである。タブローはこうしてつくられる。それは客体的に、つまり絵画がその事物性を明らかにし、その境界確定によって他を隔絶することから可能にされるのではない。むしろそれは一枚一枚の絵が各々のうちに異なる格律を備えているという意味において自律しうるのであり、そのことにおいて、彼ら同様岡崎の絵も語の最上の意味で倫理的なのだ。
岡崎乾二郎 ZERO THUMBNAIL
A-things
2007年6月6日(水)〜8月8日(水)(一期6月6日-7月7日 二期7月8日-8月8日)
月火曜休
13:00〜19:00
TEL 0422-20-3088
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-28-3-1F
words:沢山遼
2007-07-16 at 01:34 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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