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2007/05/29
水野亮展「物置」
武蔵野美術大学は大量の生活民具を所蔵している。その資料は整理・分類され、民俗資料室に保管されている。民俗資料室は、情緒のあった2号館の建物が取り壊されてしまい、一昨年にできたばかりの13号館に移動した。その一画には壁面二面がガラス張りの、明るくてニュートラルな展示スペース、「民俗資料室ギャラリー」がある。
面白いのは民俗資料を展示・公開するだけではなく、「民俗と美術」の接点を探る新しい試みとしてAgora Musica(アゴラ・ムーシカ)というアート企画を行っている点である。過去には高柳恵理や有坂ゆかりが展示を行っている。
さて、Agora Musicaの今回の展示である水野亮展「物置」では、明るいはずのそのスペースに家庭で使われていた生活用具がギッシリ、そして何故か薄暗い。ぶら下がった裸電球に、タンスや座布団、籠、ちゃぶ台?…使い方がよくわからないモノ、モノ、モノ。。。
あれっ?と思った瞬間に紙粘土製の立体作品「名無し」たちが目に飛び込んでくる。そこからは、ふと我に返る瞬間まで「名無し」というヤツらしか見えなくなってしまう。そこかしこにいる「名無し」を見逃すまいと必死で、引き出しを開けては閉め、座布団のすきまのヤツ、頭より高い位置にいるヤツ、足下までも念入りに見てしまう。そのうち探すのに疲れてしまって、そこかしこにいる「名無し」に監視されているような気分になった。
展示鑑賞後に、トークイベント「作品を語ることについて語る」にて水野の話を聞いた。そもそも、人の記憶が染み込んだ民具から湧き出たような「名無し」の展示になるはずだったのに、「名無し」が物置を占拠していってしまったという展示の過程を聞くと、水野の制作姿勢に、傲慢さを排除しようとしながらそれは無理という、ストイックな中での迷いが感じられて興味深かった。葛藤や疑問と常に向き合うことや、作品タイトルをつけられなくなって(今回の立体作品も「名無し」だし)しまうほど答えを出さないという積極性は、美術と向き合う全ての人が忘れてはいけないことだと感じさせられた。美術批評家が決まりきった物言いで作家にアドバイスし、作品を論ずることへの疑問も呈しており、実は社会学に根ざした水野の、自分や自作についてだけでない幅広い視点を感じられる充実した内容だった。にも関わらず学生よりも一般の聴講者のほうが多いような印象を受け残念に思ったのも確かだが。
しかし、水野の語る多くの言葉よりも、なんといっても「物置」の中に身をうずめたときに出会った言いようの無い不安さ―それは壁のシミをじっと見るときや、バスの停車ボタンを押す瞬間、扉の前で傘を閉じる寸前・・・のような言いようのない胸のざわめき―を感じられたことが忘れられない。誰に説明してもわかってくれないような、理屈では言い表せない感覚を「名無し」に言い当てられるような、そんな不安を想起しながら夕方の玉川上水を歩くと、「名無し」がまだ憑いてきているのではとついつい不安になった。いやそれどころじゃなくて、パソコンに向かう今の自分の背後にもいるんじゃないかなんて思ってしまう。
水野亮展「物置」
武蔵野美術大学民俗資料ギャラリー
2007年5月22日(火) ~ 6月8日(金)
日曜休 10:00-17:00
無料
TEL:042-342-6006(民俗資料室)
東京都小平市小川町1-736
words:水田紗弥子
2007-05-29 at 12:48 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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コメント
「民族」ではなく「民俗」だと思います。
投稿情報: 通りすがり | 2007/05/30 12:43:26
おっと!お恥ずかしい・・・
早速直しました〜ご指摘ありがとうございます!!
投稿情報: 水 | 2007/05/31 0:33:07