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2006/12/09

FUR: AN IMAGINARY PORTRAIT OF DIANE ARBUS

NYからライターの塩崎浩子さんのレポートです。

Fur2_1ニコール・キッドマンが写真家ダイアン・アーバスを演じる映画「FUR(ファー)」がアメリカで公開されている。今やハリウッドでもっとも映画出演料の高い女優である彼女(が、時にマイナー/アート系映画に出演して驚かされるのだけど)が、一体どんな風にア−バスに扮するのか興味が湧いた。
 映画は、裕福な家庭に生まれ育ち、結婚して子供にも恵まれ、ファッション写真家の夫のアシスタントとして一見幸福に暮らしていたはずのア−バスが、「ある男」との出会いによって、それらすべてを投げ捨て、写真家への道を歩き始めるという話。彼女はこの出会いをきっかけに、世間では奇怪といわれる人々の住むマージナルな世界へと寄り添っていく。性倒錯者や所謂フリークスと呼ばれる人々のポートレートで有名になったアーバスが「なぜ彼らを撮るようになったのか」という疑問に対する一つの謎解きのような話なのだけれど、その謎に史実を積み重ねて丹念に迫っていくわけではない。その本質は彼女の心の中、そして作品の中に潜む永遠の秘密なのだろう。

映画の冒頭でも語られているように、この映画はア−バスの伝記的映画ではなく、彼女の評伝に着想を得て作られた作品であり、ゆえに、史実と異なるあるいは説明不足というような言説は的を得ていないように思える。むしろ強い印象を受けたのは、タイトルに始まり映画全体から感じられる「ファー」へのフェティッシュぶり。監督はもしかしてファーを撮りたくてこの映画を撮ったのではないかと勘ぐりたくなるほどだ。思わず手で触りたくなる、ほおずりしたくなるような柔らかくなめらかなファーの感触が官能的に描かれている。ある男との出会いとはあるファーとの出会いであり、キッドマン演じるア−バスは、それに触れることで人生が変わってしまうのだ。

ファーについて考えていたら、メレット・オッペンハイムのファーで包まれたカップとソーサー、スプーンのオブジェを思い出した。飲みたくても飲めない、でも触れてみたい、そんな誘惑に駆られる作品である。同じ「毛」でも[hair/ヘア]と違って[fur /ファー]にはそんな蠱惑的な魅力があるように思える。

*「FUR」は2007年に日本公開予定。

Words: 塩崎浩子

2006-12-09 at 03:08 午後 in ワールド・レポート | Permalink

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