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2006/10/02
金氏徹平展「phenomenon」
雨宮庸介展のすぐ隣のビルで開催中の金氏徹平展。京都在住の作家だ(写真左)
記事を書くとき、展覧会写真を見ながら、この音楽が合うなとか、外から家に入って来る音でいいかなんてやっている。それで印象が変わってしまうということにもなりかねないけど、展示を思い出してドボンと潜って行ったりするわけで、どのみち会場を離れた再生作業なので、またズレたりもするんだと思うんです。
金氏徹平は音楽を聴きながらつくるタイプだろうか。空間のなかはいつも複数の作品で構成されていて、全体を引きで見てもゆるやかにまとまっているし、回遊しても楽しい。作品は、ガレージから引っ張り出したような既製品をよく使っているが、空間に余白が多いためかそれほどガチャガチャした感じではない。今回はちょっと整然とし過ぎたくらいかも。過剰で(過剰なりの秩序もあって)ワイルドはよくあるが、すきまがあって新しいシステムとワイルドさもあるというバランスは面白くなると思う。
真ん中の半透明のポリタンクやハンガーなどなどは宇宙ステーションのようなものに構成されている。しゃがんで見るとそれぞれちゃんとラインが重なっていったり、存在のかわいらしさもあったりする。
同じビルの高橋コレクションで、ヨーロッパに腰を据え、歴史や層の厚さと勝負している小林正人展と比べると、見かけの玩具っぽさから、現代の若手特有の趣味的な幼さを感じてしまうかもしれない。が、この作家が試していることには大切なテーマが含まれていて、何かになっていきそうだという期待感がある。
まずこの作家には、見えないものを表現していくにあたって、立体を使ったり、雑誌の切り抜きや写真を使ったり、水彩やインクを使ったりアウトプットの仕方が複数あって、それらを同時並行でつくっていくというリズムや流れがある。それらの間を循環しながらそれぞれに影響させていけるのは強味だ。ハイでもスロウでもなくて、フロー・ペース。
今回のインクを染み込ませたデカルコマニーは引くと全体でひとつのゆるやかなまとまりに見えて、近づくと個々のパーツから成っていて、それぞれもきれいなのだ。境界をぼかしたりズラしたりすることには、不安さや怪訝さを感じさせるが、何かそれを超える瞬間がある。ひしめき合って結合し自然発生的な爆発(というよりは寄る辺のない水があふれて洪水か)、誕生、とまでには見せ切れてないと思うのだが、イメージは伝わる。
あるいは、考え方の参考にしてもいい。例えば、「ここの重なる部分はなんだろう」とか、「その決定はこのくらいの濃度にして変化可能にしときましょう」とか「私の気持ちはいまこのくらいのにじみだ」とか「あと少しで臨界点」とか。なんかもうちょっとイメージに幅ができるというか。それを具体的に落とし込んで行く時には、責任の所在とか、どのくらいどこを変化可能にしておくかとか調整しないと、なし崩しになるんだけど、なにかこの先にできるものやプロジェクト、つまり見えないものをつくるときの最初のイメージのつくりかたや伝達にも、アートはけっこう応用できる。その方が楽しいし。
あと、友人がウェットな作家についてウェブに書いていたことから今回気づいたのは、金氏の作品には水とか水分が案外出て来るなあということ。昔から言われる日本の風土からくる日本人的な湿気、ウェットを意識しているのかもしれないけど、同じアメリカン・トイなんかを使っても、欧米の作家と質感が違う。その辺もよく考えているのかも。
2006年9月9日(土)〜10月21日(土)
児玉画廊|東京
東京都西五軒町3-7ミナト第三ビル4F
11:00〜19:00 日・月・祝休廊
Tel.03-5261-9022
words:白坂ゆり
2006-10-02 at 04:45 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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コメント
ひしめきあって溢れ出るばかりではなくて、沈黙とか抑止力という逆の作用もあるかもと今思いました。
投稿情報: 白 | 2006/10/03 13:38:25