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2004/01/08

吉田暁子展

「多層的でひとつな構造」


art197_01_1会場風景


■ニューヨークから帰国して2年ぶりの個展。吉田暁子の絵画の展開は、前回もそうだったが、何か見落とした気がして2回は足を運ぶ。それは部分(ディテール)の多様さとそれを全体で捉えたときの構造、さらに内と外が反転している(今回は鏡を使っていた)状態に、<見るべきもの>と<見えないけれど見えてくるもの>がいろいろとあるからだ。

■鏡に描かれた絵と、屏風に三方を囲まれて、木の幹の立体がある。全体で絵として見る。新春の風景として記号的にも受け取れる。屏風絵はタッチを変えて多層的に描かれており、視点が画面をなで、手前へ奥へと行き来するうちに、絵画の空気に包まれるようだ。

■木の幹の中は漆で塗られている。漆は、今の日本画の概念ではその材料に入っていないが、明治以降の近代化の過程で「美術」と「工芸」、「西洋画」と「日本画」とねじれて分化される前の日本のエステティック(美学のようなもの)のあり方を探ると、さまざまな材料のなかでも比類のない存在だったことがわかるという。日本の漆器には、使われてはげていくほど良いという美意識があり、「外」と関わり「時間」の中で発生する偶発的な美を歓迎する考え方がある。「ひいては、こうした日本人のエステティックが、(今の私が考える)日本の絵画にどのような影響をもたらしてきたのか、あるいはもたらすか。それを検証するためにいつか挑戦したい素材だった」という。

■鏡の絵は、1枚ずつ独立しつつも全体でひとつの島に見える。アクリル絵具とステンドグラス用の絵具で描かれ、小さな雲文様は切り子細工によるもの。絵の中の色はくっきりと形を持ち、切り子細工は、見る角度によって見えたり見えなくなったりする。それらは互いに関係性をもたないように描かれている。しかし、日本人は、俯瞰の視点を持つ上に、雲文様や気流のような装飾を、慣習的に違和感なく統制(統合)して見てしまう。

■「異文化圏では、曖昧なニュアンスは通じない。かといって、はっきりとはしているが記号としてのオリエンタリズムに委ねられてしまったら、トリガーの意図がかけ離れてしまう。しかし言葉で言い尽くせないグレーゾーンをこそ見極めたい自分は、そのまま曖昧さを共有することができない異文化によって、よりその探究の所作を先鋭化させる手がかりを得ることができるのです」。現代に生きる彼女が探す日本の絵画。それを精神論ではなく、ひとつひとつ検証しながら、新しい構造をつくろうとしている。多様なものを詰め込みながらシンプルに存在するもの。それはこれからのキーだと思う。


吉田暁子展 わらうみず 新作 鏡と漆で
2004年1月8日(木)〜24日(土)
なびす画廊
東京都中央区銀座1-5-2ギンザファーストビル3F
(京橋駅3番出口or銀座一丁目駅より3分)
11:30〜19:00(土曜〜17:00)
日曜・祝日休
TEL 03-3561-3544

words:白坂ゆり

art197_01_2「こだまのにわ」2002

art197_01_3「わらうみず」2004 漆、杉、鏡、塩、葉

art197_01_4幹の中に鏡がある。鏡には切り子細工

art197_01_5「わらうみず VI」2004

art197_01_6「わらうみず V」(部分)2004

2004-01-08 at 03:56 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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