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2002/11/26
斎藤芽生展
「時代の蔓」
展示風景
■印刷物や画面では、構成の妙は感じられても、この浮遊感は目の当たりにしないと伝わりづらいかもしれない。ディテールも隠微でウェットで美しく、いまどき珍しい近代文学の匂いもする。(自分とてたいして読んではいないが、子供時分にもアイドル主演の「文芸路線」映画によって、ひっかかりはあったので)
■斎藤芽生は、「花環」や「公団住宅」など、日本のライフスタイルの西洋化が生み落とした奇妙なもの、今日までかろうじて存続、あるいは消滅しつつある土着の日本文化をモチーフに、美しい毒をもって抒情的に描く。今回のモチーフは、「文化住宅」と「遊園地」。文化住宅とは、大正から昭和初期に建てられた、和風建築の玄関脇に塔のように高い洋間をもつ住宅のこと。当初は、電化製品などによる便利な生活を指していたが、外見の特徴のみを言い表わす言葉になっていったようだ。遊園地も20年周期といわれるが、鉄道やデパート会社の経営だったものも閉園し、ゲーム会社やアミューズメント会社のものに移り変わっている。飛行機の乗り物なども、世相を反映したものだ。
■しかし、斎藤は社会学的な視点からアートに落とし込んでいるわけではなく、自分の出自を見つめる根深い作業の果てに、虚構を生み落としているのだろう。彼女は、7歳まで小高い丘の(世間と隔絶された)団地に住んでいたと、カタログに書かれてあった。その時代のまっすぐでねじくれた憧れがはらむ空虚と情念の気配に、疑念を抱きながら育ったことが想像される。なぜ自分がその家に住んでいるのか、両親の心情ばかりではなく、その社会背景を察そうとしていて、視点が広い。
■先日、古書店で「戦後の復興でなりふりかまわず来た日本が一段落した昭和40年代を境に、それまで平気だった言葉がタブーになったり、(確証はないが)世の中が体裁を気にし出したように思える」という話を聞いた。子供の頃私も、世の中がなにかを隠しているように感じたことはある(いつの世もそうなのだろうが)。もうひとつは、「忘れよう」「なかったことにして生きよう」という風潮。
■自分達の生まれてきた時代に、すでに西洋はあったのだ、とあえて問わない作家も増えてきた。けれど、年を経ない人の私世界は、よほどじゃないと揺り動かされるものはない。彼女の場合は、自己に向かい合うとき結局ぶち当たり、陥る場所から、上等のフィクションを立ち上げようとする覚悟が感じられ、これは見る方もきちんとのぞまなくてはと思わせられたのだ。
斎藤芽生展「遊隠地」
2002年11月26日(火)〜12月21日(土)
セゾンアートプログラム・ギャラリー
東京都渋谷区神宮前5-53-67コスモス青山1F
(地下鉄表参道駅5分、青山ブックセンター上)
11:00-18:00 日月休
TEL.03-5464-0197
斎藤芽生ホームページ
*12月15日まで「傾く小屋-美術家たちの証言-since9.11」(東京都現代美術館)にも出品
words:白坂ゆり
遊隠地構想図〜湿地回復隊(しっちかいふくたい)」
「遊隠地構想図〜低徊飛行機(ていかいひこうき)」
「遊隠地構想図〜淫雨椀(いんうわん)」
「遊隠地構想図〜高踏談話室(こうとうだんわしつ)」
2002-11-26 at 03:04 午後 in 展覧会レポート | Permalink
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コメント
写真を見たかったのに×印とは残念。
あんまり写真術的に描かれていると見ていて疲れてしまう。もっとダラ~とできないですかね。私は貧血の気があるので、直立不動の姿勢は苦手なんです。
投稿情報: イワメジ | 2006/09/13 19:32:37
写真(画像かな)出ていますが、ブラウザはどちらでしょう。
かなり、絵 ですよ。底冷えのする、ピキッピキッと張りつめた感じは確かにあります。
あるいはどろーんか。ダラ〜はないですね。
投稿情報: 白 | 2006/09/13 19:53:23