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2002/09/24

内田かんぬ展

「ものと光」
art165_01_1「ヘッドライト」
内田かんぬのアトリエに、取材で行ったことがある。駅から5分足らずのふつうの住宅街なのだが、現実の風景の方がキャンバスみたいに、立ち上がってきて、なるほどなあと勝手に納得した。家のなかのものも、目で物色していると(スミマセン)、透明パックに入った綿棒とか、モチーフになったものが見つかる。外の風景は、写真に撮ってきたものを見て描いている。

写真は、ものを見る目線に少なからず影響をもたらす。目が捕らえる、捕われる感覚が鋭くなるといったらいいだろうか。そして、矛盾しているように思われるかもしれないが、目はいい加減でもある。同じものを見ていても、感情によって見方が変わったり、たくあんの味がやっとわかるかのように、経験によっても異なってくる。ものの見え方は光によってもガゼン変わる。

「水栓」は、「光」をかたちとして描いていた作品。これは水道をひねる部品。内田の描くモチーフは、製品名はあるのだろうが、とっさに名前がわからないものが多い。そんなものに光が当てられている。そして、光そのものも、なにかを照らさなければ、その存在を知られることはない。光を描くということは、つまり、輪郭のないものに、輪郭を与えるということだ。

黄色い背景にピンクのコスモスは、「アイフル」のティッシュペーパーだそう。前回の個展では、青空に菜の花の「武富士」を描いていた。白い線は、ビ二-ルの切れ目であり、キャンバスの裂け目だ。平面でありながら、立体的にちょっとズラしている。フォンタナ的といったら、カッコよすぎ?

九鬼周三の「粋の構造」や岡倉天心の「茶の本」に書かれているような、ものに対してそこはかとないニュアンスを感じてしまうのは、日本人特有なのだろうか? だとすると、このたたずまいのおかしみは、どこまで理解してもらえるのか難しい気もする。が、彼女の場合は「もの」は「もの」として見ているクールな距離感もある。そして、じっと見ていると、ものそのものがなにかはだんだんどうでもよくなって、自分の視線がミクロになり、迷宮化していくのがおもしろい。

内田かんぬ展
2002年9月24日(火)〜10月24日(木)
ベイスギャラリー
東京都中央区京橋-18-2-102
(京橋駅1番出口より徒歩3分)
11:00-19:00 日祝休
TEL.03-3567-8543

words:白坂ゆり

art165_01_2「水栓」
art165_01_3「フック」
art165_01_4「アイフル」
art165_01_5右「歩道橋」、左「ペダル」、上「傘」 
art165_01_6「松屋銀座」 


2002-09-24 at 12:59 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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