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2001/03/24

紺泉 interior2展

「夢と現実の表面」 


■職業柄、スカートやヒールの高い靴、小さなバッグは何かと不便であまり身につけない私でさえ、ファッション誌をめくる時間は幸福だ。ファッションやインテリア誌から切り取ったイメージをもとに絵画に仕立てる紺泉も、「あれこれ買えないから、描くことで自分のものにしてる」と笑った。

■実際のものを見たり、写真に撮るのではなく、ものの良さや特定の情報を伝える第三者の視点を採用するのは、現代の表面をなぞる潔い方法なのかもしれない。ブティックのディスプレイのような絵画のインスタレーションは、第一印象がまず楽しげ。見た目のよさに惹きつけられる。

■よく見ると、ヒョウ柄やチェック、型押しなどの模様が丹念に描き込まれている。顔料はアクリルや水彩絵具だが、面相筆でモノの表面を淡々と描いた画面は、装飾的な日本画を思わせる。横に展示されていた描き途中の植物の絵画を見ながら、日本画の潔い美しさや蒔絵という宇宙について彼女は語った。

■間に置かれた本物の植物は、リアルとフェイクに囲まれた現代のありようを示す。と同時に、はるか古代から、植物や動物の生態的なデザインから多くの装飾模様を生み出してきた人間の歴史を思う。ともすれば生態系さえ壊しかねない、人間の尽きない装飾欲の怖さ。しかし、だからこそ絵画はなくならないし、装飾をはぎとった絵画を良しとする傾向は、本能的な喜びや豊かさを奪っている。

■厚みのあるキャンバスは、それらの絵画をそこにあるモノとして置きたかったからだそうだ。消費されるモノたちを蘇生させるように。植物も動物もモノも美しく見られようという自意識でそんな姿をしているわけではない。その無欲なたたずまいはうらやましいが(というのも人間の一方的な見方だが)、人間は危ういバランスを保ちながら、その欲あってこそ生きられる。物欲ではない。日本の表面性とは、"「飾る」ということの毅然としたありかた"なのではないだろうか。

紺泉interior2
2001年3月24日(土)〜4月28日(土)
ナガミネプロジェクツ
東京都中央区銀座7-2-17南欧ビル4F
(地下鉄銀座駅or新橋駅、コリドー通り沿い)
11:00-19:00 日月祝休
入場無料
TEL.03-3575-5775


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展示風景

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メガネをモチーフにした絵画が建築のように積み上げられている。レンズが手前と奥や"層"を見せる。

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靴をモチーフにした絵画が植物とともに並ぶ。台座でもある箱は、洗練性にうまくスキを与えている。

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「untitled IK0033」(部分)

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「untitled IK0031」(部分)
ブーツの模様に、エッシャーのような世界が。

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「untitled IK0032」
抜け殻みたい


2001-03-24 at 11:13 午前 in 展覧会レポート | Permalink

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