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1999/06/22

Vol.11 ムラギしマナヴ(Manabu Muragishi)


eye12_muragisi

世の風潮として、若いアーティストのつくるものにナルシスティックで、繊細な作品が多い。そんななかで、ムラギしマナヴの作品にはそんな流れとは逆行するような熱いものを感じる。気の抜き方というか、「間」のとり方を心得ているので、みる側をうまく欺く。そして、とらえどころのない不可解さというものとも無縁だ。さまざまなイメージを引用し重ね合せながらコラージュしていく作品などにはセンスが光っている。インタビューのために自宅にお邪魔したとき、話しが尽きなくて5時間も話し込んでしまった。ここに収録したのはそのごく一部である。

●ムラギしさんについて思うのは言語(ことば)での解釈を基本に置こうとしている人だな、ということなんですが。自分でやっていることも、テキストにして、それがどういう流れをくむもので、全体のなかでどういうふうに自分の芸術を位置付けてやっているのかをチャートにしていたり。かなり強引な定義の仕方だったりするけれど、そこにクスっと笑える部分を残していてくれるのは嬉しいですね。
■僕らが共有できるのは言葉だけだと思うんですよ。言葉で基本的な意見の交換等を行なう世界で生きているわけですから。ものを考えるにしても全て言語化してやっている。美術作家として生きる場でないところで、作家である自分をあまり出してはいけないと思っています。感情を出していいのはものづくりをするときだけだし、背徳的な要素を含んで許されるのも芸術行為として制作しているときだけだと考えています。生命を保っていくには秩序が大切だと思います。芸術チャンネル(モード)になっている自分と日常生活チャンネル(モード)になっている、両方の自分をバランスよく保っていきたいと思っています。ただ、僕のなかには「二律背反」が根本にあるんです。

●常に二律背反を抱えながら、その狭間に身を置いているということですね。
■その二律背反のなかで、創造と探求を繰り返し行なうことで、生まれてくるものがあります。探求を繰り返すことで、考えていることをテキスト化できたりする。でも、会話における「間」は文字にはならないし、その場の空気で伝えることができる場合もある。禅宗の立場を示す語ですが、「不立文字」「以心伝心」について、共感をもっています。しかし、これはさっき「僕らが共有できるのは言葉だけ…」といったこととは矛盾するんですけれど。常にこういうジレンマのなかにいるんですね。芸術哲学等を認識しつつも、一方で、子どもっぽいこともできなくてはいけないと思うんです。多少汚れていたり、技術的な欠点が見えてもOKとしてしまうし。習作の段階のものでも並列させて同じに隠さず見せてしまっても構わないとも思っています。作品の完成度といったものの捉え方も内容によって変わってくると思うから。むしろ、粗暴でプリミティブな部分を刺激するものがそこにあれば、それはそれで一つのものとして成立しているだろうって思います。なんでも形骸化させていくことが一番いけないと思っています。批評にしても、何にしても慣れてくると陥りがちなところだけど、そうなってしまうとおしまいですから。恥ずかしいこともやってみようとか。とにかくなんでもやってみるんです。マンガは一番わかりやすいです。ラブコメディ的なものもかいてしまう。でも、とりあえず一度はやってコケてみることも重要なステップだと思っています。

●ところで、大学では映像を専攻していますが、絵画はいつからはじめたのですか?
■僕は大学で映像を専攻したんですが、もともとは絵を描きたかった。段階に応じて、さまざまな人の影響を受けたり、傾倒したりしているんですよ。寺山修司にはまったり(笑)。映像作品をつくることもやめてしまったわけではないです。今でもつくっていますよ。でも、少し自分のなかで分けているところはあります。画廊なんかで発表すると、みてくれた人の反応をダイレクトに受けとめることができる部分で興味がとくにあります。小学生の頃、『ガンダム』は子どもである僕に価値観や世界観を与えてくれた。それから、手塚治虫は哲学というか、父性的なヒューマニズムというか、啓蒙的な人間主義を教えてくれた。高校のときマンガ部に所属していて、いまさら読みたくないですが、『アキラ論』とか『手塚治虫論』とか書いていたんです。大友克洋はロックやサブカルチャーへの導入をしてくれたんです。でも、そのときすでに映像に目覚めていました。

●先日の『當世物見遊山』展のとき、ムラギしさんの作品が展示されていた部屋にあったエッセイ「どうですか宿泊客さん!」というのを読んでいたら、『直感主義、これでいいのだ!』という項があったのですが、これとっても面白かったです。
■あのテキストを読んだ人からは反論や異論は出るかもしれませんが、結構、だれでももっている力だと思います。経験や学習から割り出して、成立したものを「直感」と勘違いしていることもあるのかもしれませんが。それとは違うものとしての「直感」を僕は信じているんです。

●これからやってみたいことがあれば教えていただけますか?
■ネガ・ダダ(ネガティブ・ダダ)展をやることです。サルトルとボーボワールの会話を戯曲(テキスト)にして…。映像にするとある固定された時間が発生してしまうでしょ。そうすると失敗する。テキストだけで、成立させることのできるような展覧会をやってみたい。それに、ボイスへのオマージュをパロディ仕立てした写真の展覧会というのも。ありえないことをテキストにして、読んでいる相手の想像のなかに入り込んで、概念を地味に壊していくこと。これを「消極的なダダ」すなわち「ネガ・ダダ」と呼んでます。あとは、観客と作家との関係についても今考えていてまとめようとしている途中です。


words:原久子

eye12_01せんそうしようよ/アクリル、シルクスクリーン、紙/103×72.5cm/1998年

eye12_02換骨奪胎(無意味、無価値、無秩序)/アクリル、ペンキ、キャンバス/127×127cm/1998年

eye12_03シャ乱Qと最終審査(通称「どないやねん」)/アクリル、紙、キャンバス/53.5×46cm/1995年

eye12_04喜びも悲しみも幾年月/石膏、アクリル、紙、板材/60×90cm/1997年

eye12_05江戸っ子ピンチ/ ペンキ、キャンバス/53.5×46cm/1999年

eye12_06脳・PAN・しゃぶしゃぶぅ/シール、アクリル、キャンバス/73×60.5cm/1998年

eye12_07DAっふんDA/ アクリル、キャンバス/73×60.5cm/1998年

eye12_08もの思ふ芸人/石膏、アクリル、板材/90×60cm/1997年


ムラギしマナヴ(Manabu Muragishi)

1971年 京都生まれ
1993年 京都芸術短期大学映像科卒業
1995年 京都芸術短期大学映像専攻科修了
●個展
1993年 「ASIAN-BEAT」(画廊とーべえ/京都)、
「YAOISM 2」(クラブ・マッシュルーム/京都)
1996年 「COLLAGE」(VOICEギャラリー/京都)
1998年 「自己との対話」(VOICEギャラリー/京都)
●主な企画展など
1996年 「TOKYO POP」(平塚市美術館)
1997年 「神戸アートアニュアル ART PORT」(神戸アートヴィレッジセンター)
1998年 「どないやねんー現代日本の創造力」(パリ国立美術学校)
1999年 「當世物見遊山」(お宿「吉水」/京都)
●その他の活動
劇映画 「夢幻琉球つるヘンリー」(高嶺剛監督1998年製作)に美術として参加。

1999-06-22 at 08:47 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink

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