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2008/10/15
ホワイト・コラムズ「ダン・アッシャー展」
良心の自由
ニューヨークには非営利のアートスペースが多い。美術館のように入場料をとらず、ギャラリーのように商業的でもなく、実験的あるいは商業ベースに乗りにくい作品を世に問う役目を果たしている。派手さはないものの「骨が太い」作品に出会えることが多いのだ。1970年にゴードン・マッタ=クラークらが創設したホワイト・コラムズはその代表的なもので、ニューヨーク最古のオルタナティヴ・アートスペースである。そのホワイト・コラムズで現在開催中のダン・アッシャー展は、スペースは決して広くないが、さまざまな表現手段を用いる彼の作品を綿密なインスタレーションで紹介している。
Installation view, White Columns
Images Courtesy of White Columns
小さな回顧展といったふうの展示は2部屋からなる。一つ目の部屋は1981年から2008年に作られたペインティング、ドローイングと写真。大きなサイズのドローイングはオイルスティックやアクリルなどで人の顔を描いたもので、描きすぎてほぼ真っ黒になってしまっているものも含め、太く荒々しい筆の線が画面を走っている。それら顔のドローイングに上下を挟まれるようにしてある小さなドローイング群は、対照的に、紙にインクの細い線を何度か描いただけ、あるいは筆で点を置いただけの静かでミニマルな画面である。
Installation view, White Columns
Images Courtesy of White Columns
静と動、対照的なその両者がリズムを生みながら大判の写真へと展示が続いていく。羽を伸ばし飛翔する1羽の鶴、海に打ち捨てられ変色したタイヤ、フジツボが付着し朽ちた片方だけのハイヒール・・・アメリカ各地で撮影された(しかし場所は特定できない)それらの写真は、画面からひやりとした冷たい空気が伝わってきて美しくもの哀しい。今回は展示していないが、裏庭や屋外に自前で設けたリングでプロレスマニアが繰り広げる素人レスリングを撮った作品群も、暴力的なのにどこか侘びしい。
二つ目の部屋ではビデオ作品「Moonscape」を上映。月明かりが海を煌々と照らす様子は、最初太陽なのかと思ったほど。ロングアイランドの夜中の海辺を散歩した時、月明かりが気味悪いほどに明るかったことを思い出した。アメリカの女性シンガー・ソングライター、リズ・デュレットの唄を背景に、闇に浮かぶ真っ白な月光の軌跡が刻々と映し出される。
Installation view, White Columns
Images Courtesy of White Columns
25年を超えるキャリアを持つ彼の表現は多岐にわたり、どういうアーティストかを説明するのは難しい。しかし全体を見通すと、作品の美しさやナイーブさの 下に流れる強固な「自由な精神」が見えてくる。どの表現メディアにおいてもドローイング的なのである。そんな風に感じるのは、作品を知るより前に彼を知っ ていたからだろうか。近所に住む彼とは、時々通りやスーパーマーケットで出会うのだが、ちょっと風変わりな、いかにもニューヨークのダウンタウンに住んで いるといった風情のおじさんである。その一貫したオルタナティヴな姿勢は、ホワイト・コラムズのありようにも似て、現在のニューヨークのアートシーンに対 する彼の良心なのかも知れない。
ダン・アッシャー展は10月25日まで開催。
Words: 塩崎浩子
2008-10-15 at 12:43 午後 in ワールド・レポート | Permalink
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