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2008/01/11

ブルーノ・ムナーリ あの手この手

「本」というメディアに特化して語りなおしてみると、ブルーノ・ムナーリとはいったいどのような存在であったのか。本展の企画趣旨を一言で言うと、このような感じだろうか。もちろん、そこでも明らかになるのはその恐るべき多産さとアイデアの豊富さ、過激さであるが、この展示をみた後では、ムナーリの無尽蔵な創造性は結局のところ「本」というメディアでこそ、十全に展開されたのではないかという気さえしてくるのである。

 

今回の展示ではムナーリの未来派時代の絵画が掛けられていた。1907年生まれのこの作家が、未来派としてその活動を開始したのはよく知られるところだろう。そればかりか、彼はロシア構成主義やバウハウスなどの動向も同時代に感受することのできる世代的恩恵を受けていた。おそらくムナーリをムナーリ足らしめているのは、つまり彼の組み尽くすことのできない多領域性とその息の長い活動は、おそらく同時代のアヴァンギャルドなしには語り得ないものである。つまり彼の活動は、複数のアヴァンギャルドが、社会的、時代的条件によってほとんど未完のままに終息するほかなかった実現不可能な無数のコンセプトを(それとはわからないやり方で)展開することに費やされたといえるのかもしれない。

時代に平行する数々のアヴァンギャルドをやり直すこと。それはとりもなおさず未完に終わった複数の形式や複数の方法を自らのうちに抱え込むことでもあり、20世紀の前衛が(ダダやシュルレアリスムを含め)ポピュラリズムを体現するために打ち出した様々な方策を、より現実的な場に着地させることでもあった。それが遅れてきた前衛としての彼の扱うメディアの多数性とその仕事の膨大さ、公衆的な場での活躍に現れているとしても不思議ではない。

なかでも未来派的なアイデアが彼の「本」というメディアへの執着に端的に表れているのは容易に推測されるところだ。未来派は、詩人であったマリネッティを創始者として持ったことで他の運動に先駆けて雑誌というメディアを、プロパガンダのこの上ない方法として特権的に扱うことができた。(たとえば未来派のLacerbaという雑誌を通じてチューリヒ・ダダは1916年にCabaret Voltairを創刊している。)その意味でムナーリにとって「本」というメディアは未来派の理念を引き継ぐものであったのである。彼のほとんどのアイデアは彼のつくりだした本の中に展開されているといってもいい。そこではフェルト、木、プラスチック、スポンジなど、あらゆるものが動員されたのである。特に『本の前の本』ではその傾向が顕著であり、その題名が示唆するように、それは言語を習得する以前の子供たちの未分化でアナーキーな身体に対抗しうるような過剰さを備えたものである。

(マリネッティゆずりの)ムナーリの慧眼は、「本」がなによりもマルチ・メディアであり、それゆえに多言語的、多声的なものだったという点に注目したところにこそあるだろう。だから彼の仕事は、マルチ・メディアとしての本にあくまで忠実であったのであり、雑誌編集、執筆、挿絵、グラフィック、レイアウト、オブジェ絵本など多岐にわたる本との関わりは、単なる絵本作家という範疇を遥かに超えて分析的なものだったのである。それゆえ、「本」が言語によって成立している言われはない、とでも言うかのように、彼が49年に『読めない本』の制作を開始したのは極めて自然な成り行きだったはずだ。「本」はなによりもそのマルチ・メディアな性質ゆえに非—言語的なものに多くの可能性を持ったものだったからである。

一連の『読めない本』はその題名から推測されるように、ほとんどいっさいの言語を排除したところに成立している。それらがいまでは仕掛け絵本と呼ばれるような種類の絵本の先駆けとなったのは、そこに様々な細工が直接施されているからである。しかし『読めない本』は現在の多くのポップアップ絵本と一線を画していると言うべきだろう。ポップアップ絵本がページという二次元的な単位に従属的に付随し、そのことでいかに立体的な体裁をとろうとも結局は平面的であるのに対し、ムナーリの本はページという単位の個別性を跳躍し、トレーシング・ペーパーや切り込み、ページからページへと穿たれた穴の連結機能といった装置を駆使しながら終局へ向けて連続してゆくからである。その意味でムナーリの絵本は本来的に空間的、構造的な奥行きを備えている。彼は間違いなく、本を空間的、構造的にとらえることのできた希有な天才だった。

この天才は、また未来派的な天才だといえるだろう。一言で言えば、彼の絵本は上記したような作用を本にもたらすことによって「速い」からである。本をより速いものとすること。(認識のレベルでは本はマリネッティが夢見た自動車などよりも遥かに速い。)周知のように、未来派は美術史史上はじめて時間と空間を媒介する「速度」を客体的な対象とした運動だとされている。だから「意味」によって我々の認識を停止してしまう言語は、ムナーリにとって、そしてマリネッティにとってもおそらく遅すぎた。

たとえば『読めない本』のような意味を拒否するというナンセンスへの指向にもそれは端的に表されているだろう。たとえば未来派のナンセンス詩(それは詩ですらない未分化で無意味な言語の塊、騒音に過ぎなかった)は、後にチューリヒ・ダダのフーゴ・バルなどによって形式化されたのだった。

それゆえに、体系的な言語が未発達な状態にある子どもたちこそ、ムナーリの「ヴィジュアル・コミュニケーション」というコンセプトを十分に把握しえた対象だったこと、またムナーリもそうした理由ゆえに子どもを対象としたことはもはや言うまでもないだろう。本来的にナンセンス(無意味、非—意味)とはあらゆる事物が意味の連鎖に回収されてしまう以前の時間を生きている子どもたちのためにある。(同様に、谷川俊太郎のオノパトペの詩や、長新太のナンセンス絵本は、はじめ子どもたちの圧倒的な支持があり、そののち大人の世界へと逆輸入された。)

ムナーリの言う「ヴィジュアル・コミュニケーション」とは非—言語としてのあらゆるものを許容することによって、はじめて見いだされるような視覚による伝達形式だったのであり、ひいては20世紀初頭のアヴァンギャルドが指向した視覚性とは、無節操でとりとめがない暴力的な感覚に構造を与えることだったのである。ムナーリが生涯追求した「ナンセンス」はその意味で彼の前衛としての宿命なのだった(ノンセンス→意味なし→無なり)。

しかしながら付け加えると、ムナーリがほとんどなにも印刷されていないページから成る『白ずきんちゃん』(1999)をジョン・ケージに捧げていることは、あらためて音楽を聴くことが感覚の拡張によって可能になる(逆にいえば、感覚の拡張なしにこれからの音楽は存続しえない)、と主張した作曲家へのシンパシーを彼が感じていたことを示しているが、ページという物質にこそ感覚の変容の契機があると知ったムナーリが、その可能性を誰も行き着くことがないところまでに開拓してしまったことは、私たちにとって幸福なことなのかどうか、ケージが音楽を解体できないほどに解体し尽くしてしまったことと同様に分からないのである。

生誕100年記念 ブルーノ・ムナーリ あの手この手

板橋区立美術館 

東京都板橋区赤塚5-34-27

2007年12月1日(土)〜2008年1月14日(月・祝)

9時30分〜17時

展覧会テレホンサービス 03-3977-1000

words:沢山遼

 


2008-01-11 at 06:30 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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