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2006/09/30
雨宮庸介展
さっき肉じゃがをつくって夕飯を終え、海苔を見た時も変だったが、食後のコーヒーを飲みながら、この茶色い液体を飲み干したら何か出てくるのではないかという気になってきた。そんなのいやだ。雨宮庸介が描いたリンゴのオブジェのせいかな。
ギュウチャンはこの前「ジャンヌダルクのような女性を描かなくちゃ、リンゴじゃ燃えないぜ」と言っていたけど(萌えとは違うみたい)、この作家はリンゴやソファを色鉛筆でリアルに(立体化して)描くことにも燃えるし、映像にはヌードの女性も出てきます。
鏡の奥の映像と会場のインスタレーションが入れ子のようになっていて、見る者の目とか心とかが行ったり来たりするような仕掛けをつくっている。つまりインスタレーションを設置した後、その空間で雨宮が書いたプロットをだいたいもとにして撮影し(今回はプロの俳優も使ってみた)、編集した映像作品を鏡に映し出している。アトラクションではなく、白昼夢のように現実空間でイリュージョンを見せるというのはなかなか難しいことだと思う。
しかし、二次元といわれる平面はやはり三次元の(に近い)物体であり、なおかつ物体からイリュージョンを排除するのではなくもたらすことに豊かさがあると考えて、現実の三次元空間と地続きでつなげて考えてみたい、というふうに見える。いま見ている現実もイメージを反映した虚構であるかもしれないし、鏡(あるいは絵画)の中の虚構もかつての現実であるかもしれないし、さらには現実の中に現実、虚構の中に虚構という入れ子の関係。鏡の向こうに埋没するというよりは、いつか改良を重ねていくうちに映像の中のものがこっちに出て(帰って)来ちゃうような気もしなくはないが、貞子っぽい妄想か。
劇団「天井桟敷」風というか文学的な感じが効果的なのかどうかが判断しにくい。チェルフィッチュの現代劇を見たときは、線路のプラットホームが劇場の続きになって私は覆われてしまったからなあ。それは若者の話し言葉、会話の音のリアルさによってで、演劇のライブ性(映像も挟まれるが)に関わるから似て非なるものの気もするし、そうとも言い切れない気もする。
なんとなくチューブに入るような感覚なんだろうか。以前にある作家の個展で、画廊を出てそのまま透明の長方形の通路が延びていくようなものに覆われていると感じながら、かなり長い距離、歩道を歩いたことがある。行き交う人の姿も声もちゃんと普通にあって、アートを見て景色が変わって見えるというのとも違って、なんだこれはという感じだった。しかもそれはとても簡単な道具立てだったのだ。
あ、でも夢は夜ひらく、かな。
2006年9月9日(土)〜10月14日(土)
Yuka Sasahara Gallery
東京都新宿区五軒町3-7高橋工芸社ビル3F
11:00-19:00 日月祝休
TEL.03-5228-5616
tokyoartbeat
words:白坂ゆり
2006-09-30 at 12:24 午前 in 展覧会レポート | Permalink
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