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1999/03/06

丹羽誠次郎展 Katy Lied

「卵にうつるもの」


art57_n01会場風景


■展覧会のタイトルの「Katy Lied」がどういう意味だかわからなくて、訊ねてみた。「視界と絵画空間を重ね合わせていくことが、僕の作品を作る一番の動機であり、そこで生じてくるだろう『ズレ』の部分をうそということばにひっかけた」という明解な答えが返ってきた。ちなみに丹羽さんが好きなスティーリー・ダンのアルバム名でもある。

■7枚の色違いのニットのセーターが木製のハンガーにかけられ等間隔に壁に並んでいる。どれも2枚のセーターが首のところでつながっている。淡い色が選ばれているのは、空間をぼんやりとした印象にしたかったからだとか。鏡面仕上げが施された卵型のオブジェが7つ、セーターの間に挟まれたかたちに並ぶ。流線型をなすオブジェの表面には、歪んで部屋の中が映っている。

■そのセーターのうちの2色を女性と男性がそれぞれ着て、手のひらに卵型オブジェをのせた真横からの写真が2枚展示されている。ハンガーに掛けられたセーターは、観にきた人が着ても構わないのだそうだ。ここにある写真は、着てみた場合のサンプルに近い意味合いがある。ただし、襟ぐりでつながったもう1枚のセーターが邪魔をして、実際に着てしまうと視界が遮られて何も見えない。

■なぜ頭を隠して見えなくしてしまったのか、という私の疑問に「透視図法の図解をそのまま衣服に置き換えた。モデルが着ているほうが私たちの視覚世界、頭にかかっている部分が絵画の空間世界という感じです」と丹羽さんは返してくれた。なんだか、難しそうだ。頭が混乱する。要するに見えなくはなってしまうが、見えなくしてしまおうという意図ではないらしい。

■一人で観にくる人を前提にした展示というわけではなかっただろうと思うが。何人かで画廊にきて、写真のなかのモデルと同じようにセーターを着る人、観る人が交互に役割をかわって、鑑賞できるとそれはそれで良かったかもしれない。オブジェに映し出された空間は、その位置によって、あるいは自分の立つ位置によって違うということと、映っている自分に自分がみられているということを、楽しむことができた。「みること」「みられること」…。会期中にもう一度行ってみたい。今度はセーターを着るぞ!

丹羽誠次郎展 Katy Lied
1999年3月6~20日
ウエストベスギャラリーコヅカF1(名古屋)
tel.052-232-0777

art57_n02


セーターの間にあるのは卵型のオブジェ

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セーターを着た女性

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セーターを着た男性

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オブジェに映った会場の空間全体とカメラをかまえる筆者(右)

1999-03-06 at 08:38 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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